情報社会になり、文字言葉での情報交換が増えてきたのですが、絵文字があることで、気持ちの補完が出来ます。
そのような視点で絵文字が考えられたのでしょうか。
もっと多彩になり、意味づけも安定し、普及すると良いのですが、そうなると、漢字のようになってしまうのでしょうか?
もしそうなると、漢字の原点に戻るのかもしれないですね。すると、また、文字社会になってしまいますね!
10月 2022のアーカイブ
鎌倉 源氏が衰退の原因か?「永福寺跡」
頼朝の死後。二代目の将軍になったのは息子の頼家。 こんな豪華な建物を受け継いだ頼家なんですけど。家臣たち、御家人たちは、「次の将軍さまは何やってんの」というような、不信感を抱いてしまった。それは、頼家がここで何とをやったのか? なのですが、二代目将軍頼家の永福寺での行いに、家来たちは不信感を募らせたといいます。
どんなことをやったのかというと、京都から文化人を呼び寄せ、遊びの名人を呼び寄せ、頼家はここでどんちゃん騒ぎや蹴鞠をやったり、遊び場にしてしまったのだという。しかも京都から人を呼び寄せており、武士よりも朝廷の貴族たちを大切にしているとして、家来たちが不信感を抱いていった可能性があるのだ、と思われます。
動物界、損得に敏感なのはオスよりもメス!
尾道 夕方“鐘の音”が市街に響く「千光寺」
<自分>という製品を売る!
厚木 鋳物が盛んだった「鐘鋳神社」
理屈はいつも死んでいる!
社会が変化しているときは、今までの社会から出来上がった理屈は、かなり危ういものになりがちです。知識優先の人は、現状をもれなく把握することに、時間を割くことが難しいようです。
人間の頭は、現状をキチンと把握するより、自分の記憶した知識を利用して判断した方が楽なようです。 社会の変化があまりない時代は、自分の知識を利用して判断した方が、効率的なのでしょう。
しかし、変化の時代は、知識や経験も「いいかげんなもの」になってしまいます。がんばって、現状把握に時間を使いましょう。
理屈が優先してしまう人は、「曖昧」や「いいかげん」を許すことが出来ないようですが、「理屈も死んでいる」と考えれば、理屈も「いいかげんなもの」になってしまいます。どうせいいかげんな知識なら、いろいろな人たちと協力し、「いいかげんな意見」にも目を向け、現状把握に時間を使いましょう。
石油ショックの時代は、それでなんとか乗り切りました!
鎌倉 薬師堂だけが残った「辻薬師堂」
なにかにこだわっていたらうまくいかない!
御袖天満宮 から福善寺への小道!
【民話 力じまんの和七】
明治の初の頃のことです。尾道の港の仲仕たちは、畳表を上げ下ろしする表仲仕と、海産物を上げ下ろしする浜仲仕とに別れていました。
表仲仕の和七は心やさしく働き者でだれにもまして力持ちでした。
そんな和七の鼻をあかそうと、浜仲仕たちの考えたのが、天神さんの五十五段の石段を、三十貫の鉄棒を二本担いで下りることです。
この挑戦を和七はうけてたちました。そして当日、大勢の見物人に囲まれて和七は、六十貫の鉄棒をいっきに胸まで持ち上げると、石段の中程まで下りていきました。 しかしその後、和七は苦しそうになり足も遅くなりました。そして「天神さん、一生一度の力ですぞ。」と天神さんに誓うと、石段の中程まで下りていきました。しかしその後、和七は苦しそうになり足も遅くなりました。そして「天神さん、一生一度の力ですぞ。」と天神さんに誓うと、すべての力をふりしぼって、最後の一段を下りきりました。 その後表仲仕と浜仲仕のいざこざもなくなりました。