厚木 古い石仏が掘り出された「金剛寺」

 飯山金剛寺の大師堂に、神仏が八人の翁に化身して現れたという言い伝えがあります。
 最乗寺(南足柄市)の輪番にあたった三田村の清源院の四世忠州は、最乗寺へ向かう途中、この大師堂に立ち寄ってお経を上げていると、「ここで一夜を明かせ」という八人の翁の声がしました。翁達は、退廃しているお堂の再興を依頼して夜明けに帰っていきました。
 八人の翁は・観音様・黒地蔵・白地蔵・白山権現・不動尊・竜蔵権現・熊野権現・稲荷明神とわかり、大師堂は、金剛寺と忠州によって復興されました。
 この大師堂の周りに、畑から掘り出された数多くの石仏が並べ置かれています。

緊急事態は突然やってくる!

 緊急事態は突然やって来ます。この「突然=予想外の物事が前触れもなく急に起こる」のときは、自分でとっさに判断するしかないのでしょう。

 ただ、都会暮らしのときは、事前に情報を集め、考えさえすれば、予想内の出来事です。

 しかし、自然の中では、多くのことが突然起こってしまうことがありす。そこでの対応力は、やはり子供時代に自然の中でどの程度遊び回ったかでしょう。例えば、足をかけたら枝が急に折れた、石に足をかけたらぐらつき転がってしまった、枝を払いのけたら顔に跳ね返ってきた、スズメバチの羽音が急に耳元でうなった………。

 こんな経験が多いと、突然の緊急事態でもなんとかなるのでしょう。もっとも、後から学ぶことが多いのですが!

尾道 空海入唐の頃には既に開かれていた「大山寺」

「愛宕山の日限地蔵」

 往昔、釈迦如来が在世のさい、地蔵菩薩を召して日く「われ入涅槃すれば弥勒菩薩出世の暁まで五十六億七千万年なり、この間娑婆世界に於いて諸々の悪業をつくり五濁濫漫の苦海に沈める薄福重障の衆生をば済度し、永く悪道を離れて仏道を成せらしめよ」と-。この時から地蔵は我が身を百千億にもわかち民衆救済のため路傍にたたれた。
 日限地蔵は数百年前からこの地にありて、幕末ごろ現在のお堂の東手から移り住われた。

表情筋を動かし笑顔をつくろう!

 「笑い」は自分にとっても、社会にとっても、大事なものですね。どんな秘境に行っても、笑うとみんな受け入れてくれます。敵対心がないことの証明です。
 自分にとっても、免疫力のアップにつながり、元気になります。いつでも笑顔を浮かべられるように、表情筋のエクササイズが大事なのでしょう。嬉しくないときでも、笑顔を作れば、気持ちが楽になっていきます。

鎌倉 石段下に星ノ井のある「虚空蔵堂」

 極楽寺切通を往き還る旅人たちは、伝えとこの水を愛でて、ひとときを井戸のほとりの茶店に憩いました。慶長五年(1600)六月、京都より江戸への帰りに、ここを通った家康もこの名井を見学して行ったという記録も残っていますが、忙中閑あり、というのでしょうか、まことに奥床しい心がけと思います。
 その後、近くに住む下女が菜ワ切り包丁を、あやまって井戸へ落してしまい、それからというものは井戸はいやな顔をしてしまい、星を映さなくなったということです。
 石段を上ると虚空蔵堂があります。
 本尊の虚空像菩薩(ぼさつ)は、はかり知れない福徳と知恵をそなえて常に人々にこれを与え、すべての人の願いごとをかなえてくださる仏様といわれています。

「自分らしさ」は幅広い学びから!

 {自分らしさ」にこだわっているうちは、自分らしさはまだ出ていないのでしょう。自分が興味のある分野を、広げるか、深掘りしていくうちに、自分らしさがでてくるのでしょう。そのときは、もう「自分らしさ」は意識していないのでしょうね。
 ところで、「自分らしさ」を持つために、スペシャリストになろうとしていませんか?
 スペシャリストは、見方を変えれば、狭い範囲の知識しか得ようとしていません。まして、住む世界は同じ分野の人達の集まりになるので、そこで「自分らしさ」を出すことは大変です。むしろ、ゼネラリスト的な世界ですと、知識を得ることは大変ですが、「自分らしさ」は発揮しやすいのでしょうね!

相模原南区西部 旧磯部村の鎮守「八幡宮」

 磯部八幡宮はもともと源氏の氏神であるとされ、境内には三社神、金刀比羅神社、山神宮、疱瘡神、稲荷社などが点在しているほか、御神像の仏弥陀が奉斉されている。
 神社の創建時期は明らかでないが、1358年以前にはすでに旧磯部村の鎮守としてこの地で民衆の信仰を集めていたと見られている。
 この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓で、別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺。1478年、太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)があった。

うつ病はセロトニンの不足??

 精神的なスランプは誰にでも起こるものなのでしょう。その状況から抜け出すことができれば回復します。その抜け出すとき、医者(薬)に頼るか、環境(場所)を変えることができるか、なのでしょう。医者や薬に頼ったことがないので、どの程度効果があるのかわかりません。
 気分転換をするとき、むかしは、自転車で瀬戸内の島に渡り、海岸をのんびりとサイクリングしながら、小さな砂浜で小波を見ていることもありました。砂浜に棒きれで絵でも描いていると無心になれるものです。
 気分が落ち込んだときには、自然の中に入ってみるのも良いのではないでしょうか!

尾道 市立美術館から千光寺間にある「鼓岩」

 鼓岩(つづみ岩)、別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がします。
 右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡だといわれています。
 ここには【民話 鼓岩とお姫様】のお話があります。

「やらされた」感が強いと責任転嫁が生まれる!

 「やらされた感」を一番感じるのはマスコミです。視聴率アップのため、スポンサー確保のため、販売部数増加のため、あるいは、出演回数を増やすため(減らさないため)などを感じてしまいます。
 オリンピックで元選手のコメントには「やらされた感」を感じることはあまりないのですが、コメンテーター(解説・評論する人)の人達には、なにかしらの「やらされた感」を感じてしまいます。
 演出なのかも知れませんが、「状況・事実の把握」に対する熱心さをあまり感じることができません。ある面だけを捉えてコメントしているようです。
 最近は、スペシャリスト指向で、ゼネラリスト(広範な分野の知識・技術・経験をもつ人)として努力していこうとする人が少なくなっているのでしょうね!

鎌倉 季節の花木や野草が咲き乱れる「収玄寺」

 1271年 日蓮聖人の龍口法難の際、日蓮と共に殉死の覚悟を決した第二代執権義時の孫、江間光時の家臣の四条金吾の屋敷跡に金吾の滅後、捨身護法・法華色読の霊地として建立。
 創立当初は収玄庵と称したが大正末期の本堂改築を機に収玄寺と改称した。
 四条金吾は医術にも造詣が深く鎌倉、佐渡、身延にと終始日蓮聖人に給仕し法華信者の鑑として大聖人より厚い信頼を受けた。