山門をくぐると正面に本堂があります。この寺は、龍口寺を守るために千葉県中山の法華経寺から差し向けられたといわれる日東が1352年(正平7年)に開いたと伝えられます。本堂には、日蓮上人像と釈迦如来像がまつられています。「腰越駅」近くの諏訪神社は、もとはこの寺の境内にあったそうです。
11月 2018のアーカイブ
「あの人おかしい」と感じるのは!
振り込め詐欺はなかなか減らないですね。騙している側は、成功すれば、達成感があるが、罪の意識はないのでしょうね。AIで通話を分析し、逮捕に導くソフトや器具は、まだ発売されていないようですね。手軽に会話を外国語に翻訳する器具が発売されているにもかかわらず、商売にならないからでしょうか?
尾道 伝説:小僧さんと天狗さま「持光寺」
いつのころかずっとむかしのこと、持光寺に一人の可愛い小僧さんが京都の本山から修行にきていました。小僧さんは、毎日一生懸命修行にはげんでいましたが、遠くはなれた本山に早く帰りたいなといつも思っていました。しかし修行の道はきびしく、小僧さんが本山に帰れる日はなかなか来ません。小僧さんは修行で疲れたときは、お寺の山にある天狗岩に上がりました。そしてそばの大きな松の木に話しました。
他人を励ますということ!
励ましは、どうしても”他人事”という一面があります。なかなか同じ立場に立つことができません。落ち込んでいる人は、それが分かった上で、対応しているのでしょう。そのためか、立ち直りに時間がかかってしまうのでしょう。やはり、自分で自分を励まし、立ち直っていくしかないのでしょう!
厚木 鎌倉時代頃の創立「光福寺」
最初は浄土宗で教念寺と称したが、後に廃絶して正福寺となった。
鎌倉幕府の頃の創建で、開山は隆寛律師。 律師(1148~1227)、字は皆空(また道空)無我)は以前は天台宗だったが、後に法然上人の浄土宗に移り念仏を説いて継承、法然上人入寂(1212)の祭は五十七日の同士をつとめた。が、比叡山の宗徒の反発“念仏宗の集団化をおそれての弾圧”を受けて、安貞元年(1227)に流罪に処せられた。
大統領の演説!
アメリカに今までにない大統領が誕生していますが、風土が変わってきたのですね。日本も都市の風土は、大きく変わっています。これらの変化を熟成させていくのか、破綻させていくのか、時の流れのみが知っているのでしょう!
鎌倉 腰越 流行病や海難事故をなくす「満福寺」
この寺の開山は行基といわれています。寺のこの寺の開山は行基といわれています。寺の伝えによれば、奈良時代に関東地方に悪い病気が流行してたくさんの死者が出ました。聖武天皇はこれを心配し、行基に「これから関東に下って悪い病気を除くように。」と命じました。はるばる鎌倉に来た行基は、前に広がった青い海原と後ろの山並みがとても美しく見えたので、
「ここでお祈りをしたら、きっと流行病もなくなるに違いない。」と思いました。
一人前になるための反抗期!
反抗期は、脳の記憶領域が活発になり、吸収力がアップするが、前頭前野はまだ充分に発達しておらず、制御が充分出来ない状態になっているとのこと。いわゆる、他人の意見など聞かず、冒険が出来る状態。これは、ホモサピエンスの生き残りに貢献した性質でもある。過酷な自然環境の中で生き残って行くには、反抗期の冒険心が有効に機能したのでしょう!
愛川町 関東の山岳修験の道場だった「八菅神社」
八菅山の中腹にあり、別名八菅の七社権現とも呼ばれ、日本武尊、国常立尊、伊邪那岐命、金山毘古命、誉田別命、大己貴命、伊邪那美命の七神が祭神として祭られている。
明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地で、大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であり、修験道三派のうち聖護院流である。
ある程度の自信があるが「変顔」
ネットに、自分の写真を載せる場面が増えています。ある程度、自分に自信がないとできないですね。その自信を「もっと増すことが出来るかな?」と、頑張っていますね。そういった工夫の積み重ねが、いろいろな文化を生み出すのでしょう。頑張りましょう!