失敗から学ばないから苦しむ!

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 失敗であれ、成功であれ、とにかく経験を豊富にすることが大事。仕事であれ、趣味であれ、多くのことをやる。仕事や趣味を、過激にヤルことが、人生を豊かにするためには必要なこと。しかし、働き方を見直している現在、時代には合わないですね。極端な言い方をすると、人生を豊かにする必要が無い時代になったのでしょうか?


尾道 ゆかりのある作家たち「文学記念室」

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 庭付きの木造平屋建、桟瓦葺で数寄屋造りの建物で、東棟・西棟・茶室からなり、いくつかの部屋では当初から茶会ができるように設計されています。
 1912年~1928年かけて増改築され現在の形となっています。
 福井家の希望により、1998年に市が建物並びに庭園を整備し、文学記念室として公開。 2004年9月10日、旧福井家住宅(尾道市文学記念室)主屋・茶室・土蔵として、国の登録有形文化財に登録されました。


脳が緊張すると笑うことができません!

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 日本人は、微妙な表情を読み取ることが出来ます。これは、顔を合わせるからです。顔を合わせると、微妙な表情をつくる訓練が出来ます。SNSでは表情は必要ありません。写真を添付する必要があるのなら、つくった表情で良い。動きのある微妙は表情は、顔を合わせるからつくり出す必要が出てくるのです。若者は、様々な人と顔を合わせる必要が少ない。そのためか、若者の表情は誰でも同じ。そのためか、スマホの写真ソフトで、表情を自動加工した写真が出来るようになるのでしょうか!


鎌倉 日蓮にぼたもちを供養した「法源寺」

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 日蓮の孫弟子である日行が1318年(文保2年)に開いたと伝えられ、本尊は三宝本尊で日上人像とともにまつられています。
 法源寺は、ぼたもち寺ともいわれ、桟敷尼(さじきに)が龍ノ口の法難の日蓮にぼたもちを供養したといわれます。大町の常栄寺にも同じ話がありますが、桟敷尼の実家が腰越だったといわれます。

「どうして」という言葉を使うとき!

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 「どうして?」はついつい言ってしまう言葉。そう言いたくなったら、「首をかしげ、疑問のしぐさ」ではどうですか。相手が何かを説明をしてくれる可能性がでてきます。SNSではムリですが、顔を合わせたコミュニケーションでは成立します!

鎌倉 日上人修行の「血の池」がある「妙隆寺」

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 山門を入ると、正面の本堂の右手には「血の池」と呼ばれる日上人修行の池があります。その奥には、日親石像を安置する日親堂があります。
 日親が21歳のとき、「仏の教えを広めるためには、苦しみに負けないように修行しなければならない」と考え、百日間境内の池で水を浴びてお経を唱えました。それから、毎日自分の爪を1本ずっ抜き、出てきた血で墨をすり十界の曼荼羅をかいたそうです。そして、熱い湯の中に手を入れ、その湯がさめるまでお経を唱えたそうです。曼荼羅とは仏の世界や教えをわかりやすく図に示したものです。

見た目の年齢が気になる!

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 コマーシャルで、年齢より若いことが強調されている。コマーシャルに利用されるということは、見た目の若さを希望する人がたくさんいるということ。内面を見つめる目が退化したということ。電話やメールなどでのコミュニケーションが増えため、たとえ会ったとしても、じっくり観察する目が衰え、見た目だけでの判断が多くなったのでしょうか!


尾道 長い入り江であった頃の伝説「磯の辨天神社」

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 遠い昔、長江が文字どおり長い入り江であった頃、この一帯は海辺だったので、磯の弁天と呼ぶようになったそうです。今は建物の陰にひっそりと残っています。
【伝説 ひなじの仇討ち】】
 尾道の港が千石船の出入りでたいそうにぎわっていたころ、町にはたくさんの遊女がおりました。遊女は疲れた旅人や船乗りたちを慰めるためにいたのです。多くの遊女は、貧しい親を助けるために働いていました。そのなかに、芸事にすぐれ小太刀をも習った「ひなじ」とういう遊女がいました。……



小さな命がくれる生きるパワー!

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 子供の時から自然の中で育つと、観察する力・感覚が育ちます。人に会ったときにも、この感覚は有効です。また、まわりの環境変化にも敏感になります。後から自転車が来ても、見えていないにもかかわらず、危ないと感じスッーとよけられることもあります。自然災害が異常化しているとき、このような感覚を鍛えることは大事ですね!


鎌倉 諏訪一族の屋敷跡と伝える場所「諏訪神社」

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 現在市役所の駐車場になっているところに諏訪池があり、その池の東のほとりに諏訪神社がまつられていました。その周囲は諏訪の森と呼ばれるほど樹木が繋っていましたが、今は市庁舎側の歩道にわずかに大木が残るだけです。