宝戒寺後方の屏風山と小富士山に囲まれた葛西ヶ谷の奥、東勝寺跡内にあるやぐら、新田義貞の鎌倉攻めで自刃した北条高時をはじめ、北条一族の屍を奉ったとされるが、実際の埋葬地は釈迦堂ヶ谷奥やぐら群と推定されている。高時の墓と伝えられる石を積んだ塔も建っている。この腹切りやぐらを含む葛西ヶ谷の北条一門滅亡の地として知られる東勝寺跡は、国指定史跡となっている。
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鎌倉 源氏の秘密兵器「伝書鳩」その関係は「鶴岡八幡宮」
源頼朝が現在の場所に移し、武家政権を守る神社として大事にされ、寺院としての性格を持っていました。若宮・本宮・丸山稲荷は国重文です。
鶴岡八幡宮は参道の若宮大路(国史跡)と共に、政権都市・鎌倉の中心となりました。東西約260m、南北約35mの社域。鎌倉市の中では極めて広大な敷地です。
鎌倉 中世の状況を残す「浄光明寺」
山門を入ると客殿、庫裏、不動堂などがあり、その裏手の一段高くなった敷地に阿弥陀堂と収蔵庫があります。重要文化財の阿弥陀三尊像等は収蔵庫に安置されています。これらのさらに裏手、狭い階段を上った先の山上には岩壁をうがった「やぐら」があり、内部に石造地蔵菩薩坐像(通称網引地蔵)が安置されています。そこからさらに登ったところには国の史跡に指定されている冷泉為相(れいぜいためすけ、鎌倉時代の歌人)の墓があります。境内は、谷戸を雛壇状に造成した中世寺院の景観がよく保存されています。