生物全体の意見は「人間を消す」か!

 温暖化対策が必要叫ばれたいます。18世紀半ばから始まった、産業革命以前の生活スタイルに戻せば良いのですが、いったん便利さを手に入れてしまうと、もう戻ることは出来ないですね。ということは、人類はその生存を賭けて、温暖化を受け入れるしかないのでしょう。この問題を乗り越えるだけの智慧を、生み出すことができることを、神さまにお願いするしかないのでしょう!

「礼」を尽くすことによって互いが協調!

 自分が不満を持っている場合、世の中とどのようにつきあうか? 他人に、自分が不満を持っていることを見透かされるようでは、自分にとってはマイナスばかり、なかなか生きにくい。その対策として、「礼」というものが考え出されたのでしょうか? しかし、「礼」というものは、ある程度、社会に定着していないと、その効果を発揮できない。孔子の思想が立派であっても、社会が受け入れる準備ができていないと、その効果を発揮できないのでしょう!

現場で育った技術者!

 この温暖化の時代、「モノづくり」の基本に、まだ大量生産・大量消費の発想から抜け出せていません。使い捨ての設計思想が続いています。日本の温暖化防止の取組不足に対するにデモで、路上に靴が並べられていましたが、どの靴も樹脂を使っているようで、修理がきかない使い捨てのモノです。これを処分するときに炭酸ガスが発生するでしょう。温暖化の防止に取り組む人達も、使い捨ての生活態度は変わらないのでしょうか!

しつけを成功させる秘訣!

 人間が言葉を使うようになると、多くのことを言葉で指示するようになりました。しかし、昔の職人は「見て覚える」ことを基本にしていました。言葉で伝えることの限界が分かっていたからでしょう。現代は、マニュアルで伝えることが基本になりました。そして、マニュアルを作った人達がリタイアすると、大きな工場でもミスによる火災などの事故が起きるようななりました。鉄道も止まることが多くなりました。親たちも、子どもに言葉でほとんど指示しています。やはり、言葉の限界をわきまえ、昔の職人さんたちのように、子どもに対しては、やって見せ、やらせてみて、それを繰り返すことも必要ですね!

昭和三十年代の暮らしに少しの工夫をプラス!

 昭和30年代に「三種の神器」といわれたのが、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目です。今はテレビに変わりパソコンかも知れません。この辺りが「ほどよい電化」なのかも知れません。ただ、現在の電化製品が失ったものが、”安く簡単に修理が出来なくなったこと”です。1960年代後半から始まった「大量生産・大量消費」は、人々の生活を変えただけでなく、浪費への罪悪感も取り払ってしまいました。そんな時代が半世紀つづいた結果、自然災害の多発が始まりました。温暖化が原因といわれだし、資源の浪費をなんとか抑えられないか、言われ出しました。人間は、いったん浪費癖を身につけると、「人間の命の流れ」すら、維持する力を失ってしまうのでしょうか?

「直せば使える」モノは実に多い、だが高い!

 プラスチックごみ削減が問題になっています。しかし「ものづくり」は、使い捨ての発想で設計されています。「修理のしやすさ」が設計に折り込まれていません。昭和30年代から40年代初頭までの、修理を前提にした設計がされていません。修理ができないため、災害時などのニュースでは、大量のゴミが発生します。「我が社の製品は、修理が出来ますよ!」というメーカーもほとんど見かけません。修理が出来るものづくりの最後の世代は、かろうじて団塊の世代までです。いまのうちに、昭和30年代のものづくりのノウハウを引き継ぐことが出来ると、ゴミ削減につながるのですが!

本土日本人は弥生人の遺伝子が65%!

 混血は、人類の生き残り作戦の一つですね。現在の新コロナ伝染病においても、証明はされていませんが、稲作地帯出身者は感染者が少ないようです。これも、何らかの遺伝と関係しているのでしょう。また、昔話の「桃太郎」でも、川から桃が流れてきて、そこから生まれた子どもが桃太郎ですが、女性の象徴が「桃」ですので、この話には、他国から来た女性を妻にすると、立派な子どもを授かる、という意味がひそんでいるようです!

なにごとも腹八分が一番!

 気持ちも「腹八分」が大事。新コロナで混乱するときも、気持ちが腹八分なら、少しは楽になります。学生時代、100点ばかり目指していると、気持ちに余裕がなくなります。実社会では、100点は存在しないと思ったほうが良いようです。その代わり、多くの種類の80点があります。ときには、105点ということもあります。昔は、先生の中には103点や105点(教科書で教えたこと以上のことを調べていたときなど)をつける先生もいたのですが、現在はコンピュータ管理のため、禁止されているようです!

飢餓の歴史の中で身についた「腹八分目がいい」!

 平均寿命は、毎年のように上がっています。アメリカの研究では、40歳で比較した場合、富裕層が貧困層よりも、6年長く生きるとされています。しかしその要因は、新しい治療法と疾病予防を受けられること、とされています。予防と治療が同じ場合、「腹八分」が長生きや健康寿命に寄与しているのか、よくわかりません。日本では、富裕層と貧困層の医療格差が比較的少ないので、日本の研究があれば良いのですが、どこかにあるのでしょうか?

人間関係を持続させたい!

 人間関係づくりが、下手になってきているようです。これは人類初の出来事「核家族化」の影響もあるのでしょう。小さなときから、狭くて少ない人達の間で育ち、しかも兄弟も少なく、年の離れた上(親や先生達)からの指示で動くことが習慣になり、(自然の中で)自分で判断する経験が少なくなっています。また、教育の発達で100点を取ると、同年代の関係の中でも上位に立つようになっています。組織の運営は上下関係があったほうが安定するのでしょうが、組織を離れると同等の人間関係のほうが楽ですね!

近代文明は自然でなく人間主体で暴走!

 ヒト属は200万年前に分化したと言います。その200万年は、自然にいかに適応するかで生存してきました。しかし、二百数十年前からの近代文明から、「自然は征服するもの」とされました。その結果、人類は生物界の王者として君臨しています。この近代は、人類歴史時間にすると2千分の1の時間です。2時間の映画の場合、最後の0.8秒くらいの時間です。人類の歴史鱈考えると、たったわずかの時間で、地球の自然環境を壊し始めているのですね!

アメリカのハリケーンは台風とはケタが違い!

 日本でも、今までにないような大きな台風が、襲ってくる可能性が大きくなってきたようです。アメリカのように、100km以上避難しなければならないと、覚悟する時代になったようです。今後はクルマを買うときは、平常時はテレワーク室、異常気象時はキャンピングカーのように、生活の場になるクルマにしなければならないようです。そういえば、昔は4000ccのクルマでも、キャンピングカー仕様に改造すれば、自動車税が1万数千円という時代もあったのですが、いまはそんな特典はありません。新コロナ時代、避難所が不足しているのですから、特典を復活してもよいのではないのでしょうか!

不安を取り除くことができるのであろうか!

 社会の変化が激しくなっていくと、どうしても不安が広がって行きます。おそらく、先々のことを真剣に考える人ほど、不安が大きくなっていくのでしょう。こんなときは、現状の変化を実直に把握し、対応するしかないのでしょう。現状把握が得意になるには、自然の中で遊び回った経験が必要なのでしょう。自然は、多彩で危険なことも潜んでいます。その状況を判断し、「この程度なら大丈夫」という判断を、繰り返し行う必要があります。危険かどうかの判断に、感情を持ち込むことはまずありません。冷静な判断力が身につきます!

「上から目線」に注意!

 「上から目線」はどうして起こるのでしょうか? 人間の欲望は、「財力」・「権力」・「名誉」のようです。江戸時代は、この三つの欲望を分散することで長期政権をつくりました。三つの欲望をの背景に、「知識」や「経験」をもとにし、三つの欲望のどれかを手に入れると、だんだん「上から目線」になり、手に入れた欲望が大きくなるにしたがって、より「上から目線」になるのでしょう。そして真摯な人は「上から目線」から抜け出そうとして、いろいろと工夫し、各種の修行方法が創り出されたのでしょう。欲望から脱出できるひとは多くはないのでしょうが!

風水は生活の環境学!

 温暖化で自然環境が変化を始めています。自然環境は、その中で暮らす生物全体に影響を与えます。早く環境変化に適応できる生物が、有利になっていくのでしょう。環境の状況(自然・動物・植物・細菌やウイルスも)をよく観察し、変化の状況に合わせ、適応するための方法を模索する生活(人類が生き残ってきた生活)を、もう一度、取り戻す必要があるのでしょう。知識は環境変化が少なければ有効なものですが、環境が大きく変化するときは、状況観察力を伸ばしていく必要があるようです!

他人の目も借りて諌む方法!

 「本」は大事ですね。テレビや新聞などの報道情報の多くは、瞬間的な情報が多く、底が浅い情報になってしまうようです。また、テレビなどの番組で、評論家や政治家、そして専門家ですら、番組の中では時間がないためか、底の浅い情報になりやすいようです。その点、本は内容の良し悪しは別にして、それなりに積み上げられたものが多いようです。そのためか、“何かしら”に捉えられてしまうと、はまり込んでしまう場合もあります。その対策として、他人(できるだけ多彩な人達)が選んだ本に、いろいろと目を通すことも必要ですね!

ある特定の先入観が入る場合!

 「先入観」、「思い込み」は、視野を狭くしてしまいます。ときには犯罪に至ることもあります。そのことに気がつき、それから脱出するために「禪」などの手法が開発されたのでしょう。座禅に没頭し、先入観・思い込みを「無」にする修行の方法ができたのでしょう。現代では禅と正反対の、「無」を「無限大の情報・知識」にし、無限大の多様性を追求する方法も、データベースを使用すれば可能になっています。ネット検索も大量の情報を扱っているのですが、AIが情報の抽出に関与しているため、一種の思い込み情報になっています。これを解消するには、自分たち(多様な人達で)で、知識・情報の蓄積を行い、個々人がその情報を単語検索し、見つかった情報を組合せ、それの繰り返しで多彩な情報に接し、固定観念を払拭することも可能な時代になっています!

毎年起こる対策を試しましょう!

 毎年暑くなっていくようです。石油エネルギーの大量消費を続ける限り、どうしようもないのでしょうか。東京などの大都市のエネルギー消費で、昼間は埼玉などに大量の熱エネルギーが風で運ばれ、40度くらいまで気温が上昇しています。からだも、温暖化への適応が素早くできるとよいのですが。これからのテレワーク技術などの発展で、自動車などの利用が少なくなり、また、地産地消で運搬距離が短くなり、エネルギーの消費が少なくなるとよいのですが!

感動を受ける台詞!

 「感謝」は伝染するようです。大都会よりは地方のほうが伝染力が高いようです。新コロナの伝染力と反対ですね。やはり、大都会はあまり周囲に気を使わなくても暮らせます。しかし、地方はある程度は気を使う必要があります。危機対応への違いなのでしょうか? 大都会で、公的な支援がない場合は、多くの人が周りからの支援を受けられず、悲惨な状況に陥るのでしょう。地方は、平静なときは面倒なこともあるのですが、危機状態になった時、助け合うことができるのでしょう。これからは、温暖化による自然災害も頻繁に起こるようになりそうなので、それぞれの地域風土を見極めた上で、暮らす場所を選ぶ必要があるのでしょうか?

定年という生活の転機は!

 定年になってから、「どうしようか」といろいろ考えても、長く続くものは見つからないでしょう。少なくとも、定年の10年くらい前から、準備をして行かなければならないのでしょう。それも、ある意味、精神的には仕事よりも多くの比重をかけて、取り組む必要があるようです。仕事は、経験をつぎ込んで能率アップを図り、負担を低減し、休みの日は、定年後の準備のための技術の習得とデータを蓄積し、そこから、何かしらを生み出す練習をしていく必要があるようです!