お経は何かさっぱり分かりませんが!

 日本ではお経は漢字で書かれています。そのためか、その意味を知ろうとします。でも、分からないですよね。仏教の宗派によっては「文字で書かれていないところに真理がある」と考える宗派もあります。生物として考えれば、その種が生き続けていく真理は、決して言葉ではない、と考えることが当然の真理です。人間以外は生物は、言葉は持っていないのですから!

うるおいに満ちた精神性!

 日本の風土の基本に、「相手を思いやる」ということがあります。災害が多く、大小の争いも西日本(琵琶湖周辺以西)では数多くあったためか、庶民か生き残っていくために「相手を思いやる」ことが大事になったのでしょう。いくさでは、武士が農民たちから食料を略奪し、京都の昇ると織田信長のように、無理矢理に米を庶民に貸し付けて三割もの利息をとるなど、庶民たちはお互いに助け合わないと生き残れなかったのでしょう。新コロナで緊急事態解除が首都圏で予定されています。この地域の風土は、他の地域に比べて助け合いが弱く、能力主義で自己中心の人が集まっているため、再度コロナ蔓延の心配がありますね!

体の毒を出して体を守るのが厄年!

 陰陽道は、「陽」と「陰」という視点から、バランスをとって物事を見ていこうともいえます。思い込み・固定観念で物事を見ることの危険性を予知していたのですね。「無」という考え方も、同じような考え方なのでしょう。学問は、多くの「固定観念」を生み出してしまいます。一神教も同じように「思い込み」を生み出しているのでしょう。もしかしたら、AIも同じ道をたどる危険性があるのでしょうか?

女性の井戸端会議は必要!

 妻田薬師、正しくは、西隣にある遍照院というお寺の薬師堂です。
 伝説によれば、本尊の薬師像は聖徳太子によって造られたといわれています。お堂がいつごろ建てられたのかはわかりませんが、室町時代の末には信仰を集めていたようです。
 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。

「縁起をかついでしまう」いいことですね!

 悪い出来事が社会に大きな影響を与えたとき、お参りするところ(神社)をつくり、神様を勧請し、お祀りをすることで、何とか乗り切って来た歴史があります。このような行いをすることで、多くの人が社会のルールを守り、乗り越えることが出来たのでしょう。昔からの商人の街では、「法律は最低のマナーだ、商人としてのマナーは、もっと上のマナーを身につけなければ……」というルールがありました。法律より上のマナーが、長く商売が続くという幸運をもたらすことを大事にしていたのでしょう!

運を変えたいなら視野を広げよ!

 応神天皇が即位22年(西暦291年)に淡路・播磨・小豆島を経て、尾道の当地に巡幸されたといわれている。海辺に玉子に似たひかり輝く石を御覧になり、亀の形をした小さな丘で休息。当地の里人はこの地に祠を建てて聖地として崇敬したとされている。
 比較的敷地の広い神社です。参道は本通りから続いており、JRと旧国道2号線に分断されています。

日本の山村には森林が残りました!

 日本の自然条件はきびしく、工夫して生き抜いてきたようです。西日本は台風の来襲があり、東日本は火山の噴火やその堆積物が多く、日本全体では、地震や津波があり、平野は洪水に見舞われることも多く、しかも、山岳地帯で移動がしにくい風土でした。そこで、その土地に合わせて、工夫し、ルールをつくり、みんなで守り合うことで凌いできたのでしょう。そのためか、ルールを守り、協力ができる遺伝子(不安を持ちやすい遺伝子)が多い人が、生き延びることができたのでしょう。
 開拓心が強く、不安感をそれほと持たない人は、北海道の開拓をしたり、大都会で成功を目指したり、そのためか、伝染病には弱いのでしょうかと、ついつい考えてしまいます!

龍安寺の石庭、コケの美学!

 コケが見直されているようです。自然があれば、どこにでもあるような印象です。昨今の外出自粛、コケの美学を追究してみることも一つの方法です。コケは枯らした場合でも、罪悪感はそれほど感じなくても済ます。石などにくっつけて、それをいろいろと配置し、楽しんでみたら如何でしょうか!

神社に向かって手を合わし、心を整理!

 現代は、情報があふれ、接する人もあふれ、モノもあふれ、社会にはいろいろな出来事があふれています。そのようなも雑多なものに合わせて行くと、どこかおかしくなってしまいます。そのこころの掃除のために神社にいってみてはどうですか。神社が立地している地形を観察すると、災害に合わないような場所にあることが多いようです。このような場所は、安全でパワーがある所なのでしょう!

国によって違うジェスチャー!

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 新型コロナウィルスがイタリアで大感染を引き起こしています。イタリアは、家族が集まって食事をする事が多く、また、ジェスチャーを使ってのコミュニケーションも多い風土が原因に関わっているのでしょうか。医療体制にも原因があるのでしょうが、もともとイタリアには1000年以上にわたって、ヨーロッパの医療技術の原点になっていたのですから、対策は難しいですね!

手水舎で身を清める!

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 疫病を鎮める神社が多くあります。神社では、鳥居をくぐると手水舎の水で、手洗いと口をすすぎます。現在流行しているウイルス対策として、推奨されていることと同じです。昔の人は、現状把握とその対策、そして対策の定着化について、智慧を作り出していたのですね!

お辞儀で誠意を!

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 「お辞儀」というコミュニケーションのやり方。伝染病の脅威に当面し、改めて工夫に工夫を重ねた結果つくり出されたやり方だと、先達たちの工夫の結実したものと思いました。我々が何気なく行っている風習にも、多くの工夫が込められているのでしょう。日本文化の熟成についてを、もっと気がつくことができれば良いのですが!

中華文明は「核」を持たない文明!

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 麦や稲は、耕作者の年間消費量の二倍の収穫ができた。これが「戦い」の根本原因となった。残った半分の収穫が、土地や農具の借賃、収穫した倉庫の護衛などに使われ出した。農地の水の確保のため、大河の流域では巨大な開発事業となるため、大きな権力を持つリーダーが必要となった。乾燥地帯ではより巨大な権力を持った皇帝が出現した。日本でも、東日本は大きな河川があり、やはり、強権のリーダーたちが出現した。地域の風土は、自然環境がつくりだすのですね!

道端のお地蔵さんにはエネルギーが!

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 道祖神は村の辻などに祀られて悪霊の侵入を防ぐ神様。国際飛行場に道祖神を置いて、新型肺炎菌の侵入を防いでくれるとありがたいですね。「固く信じる」ということは、宗教などで広く行われており、心だけでなく、からだにも何らかの効果があるのでしょうか? 医療がまだ発達していないとき、いろいろと信じることで、なにかしらの効果があったから、長い歴史の中で続けられているのでしょう。「信じるという姿勢」こそが、未来を拓く大きな大きな力となってきた体験が、そうさせているのでしょうか!

幽霊をみよう!

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 それぞれの地域の風土に目を向け、歴史を眺めていくと面白いですね。日本でも、東日本は組織の文化があり、西日本は庶民文化があります。よく言われていたのは、テレビ番組にたとえ、東日本は「水戸黄門」、西日本は「必殺仕置人」が好まれるといわれていました。水戸黄門が印籠をかざすと、印籠の権威でみんな言うことを聞いてくれます。必殺仕置人は、庶民が仕置きを、庶民にお金で依頼します。その背景には、歴史の積み重ねがありますね!

聖徳太子の願掛けで勝利!

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 仏教の伝来は、政治の権力闘争の材料でした。仏教の教えが権力闘争に有効だったのか? 寺院や仏像が有効だったのか? どうも、寺院や仏像が有効のだったような気がします。教えという抽象的な概念は、ある程度仏教が理解されていないと、有効にはならないでしょう。しかし、寺院や仏像は見せ方で、有効な権力の象徴になります。古びたお寺が修理され、朱色に塗り直されると、圧倒されるようになりますね!

ずっと着物で過ごしてみると!

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 歴史を大切にすることが、安全と平和につながっているのでしょう。着物の着方も中国がもとになっているのですが、中国の文化は政権が変わると、前政権の文化を全否定する文化なので、平和が長続きしないのでしょう。ところで、「右前」とは、「右側を先にからだに着ける」ということなので、外側から見ると、左が前(上}になっているのですね!

文字文化の伝達!

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 文字の文化は、記録として残っているので研究されていますが、言葉の文化は、なかなかわからないようです。また、言葉がなかった時代は、もっとわからないですね。たとえば、毒キノコのように、毒のある食べ物の危険性を、どうやって伝えていたのか? DNAスイッチのOn/Offで伝わっていたのでしょうか? なんらかの伝達方法がないと、生き残ってはいけないでしょうから!

源平の合戦に携帯(伝書鳩)が使われていた?

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 日本の歴史の中で、通信手段として「伝書鳩」のことを語る歴史家は見かけない。が、尾道の浄土寺の言い伝えでは、「源氏は伝書鳩を使っていたが、平家は使えなかった」と。今でたとえると「携帯電話」に相当するのでしょう。広島の原爆の一報は、原爆投下の少し後に広島を通りがかった新聞記者が、大阪の本社に伝書鳩で報告したとのこと。何らかの事情で記事にはならなかったが、第二次世界大戦までは、ヨーロッパでも伝書鳩が使われていたという。戦国時代の“いくさ”でも、伝書鳩が使われていたのでしょう。江戸幕府が「伝書鳩を禁止」した事実があるのですから!

外国にも「お盆」に似た文化がある!

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 日本のお盆に相当する行事は、海外にもあるようです。しかし、いろいろな文化をつくり出しながら、その多くを過去に置き去った国も多くあります。日本は海外から入ってきた文化を、洗練しながら現在まで引き継いできているものが多くあります。「文化は、現在に生きているからこそ文化である」と思います。歴史は、単に記憶するものではなく、現在に生かすための歴史であってほしいものですね!