知識は「広く」から、そして「深く」へ、そして「広く」へ!

 今はスペシャリストを目指す方が多いように感じます。それだけでは片寄った思考になりやすいですね。
 いくつかの専門分野を身につけた上で、雑学に手を染め、そして、状況を洩れなく把握した上で判断するゼネラリストを目指してほしいものです。
 知識は、現状に即した上で、バランス良く利用できると、大きな力を発揮できるものではないでしょうか。そのためには幅広い知識が必要ですが、実際に行うには難しいことですけど!

出来る人の近くに身を置いてみる!

 脳波「周辺抑制」と言われるように、サーチライトのような見方をする機能があります。専門家は、そのような見方の訓練を積み重ねているようです。しかし、これでは変化の時代に対応できないのでしょう。
 本当の変化の時代に入ってきた現在、今までは、ある意味「答えは一つ」を基本にしていました。しかし、新コロナの蔓延、地球の温暖化、地球人口の増加など、過去の経験があまり役に立たなくなってきています。
 変化を求められる時代になってきていますが、製造業においては、部品供給の海外依存が多く、それらの製造や設計技術にふれる機会も少なくなっており、基本にふれることが少なくなっています。
 大きな変化に対応するには、基本を知って、それから、現状を知って、そして知恵を絞るしかないのでしょう。
 子供時代から、いろいろなものや人にふれ、多彩な見る目を育てておきたいものです!

目標に対しさまざまな要素が入り混じった思考!

 大人になると「いま」を大切にしたいものですね。「いま」を、ありのままに、洩れなく、自分の思い込みを捨て、現状を把握し、対処が出来れば、良い人生になるのでしょう。
 経験を重ね、知識が増えてくると、「思い込み」が成長し、その思い込みに支配されるようになると、現在の状況の一部しか見えてこないし、見ようとしないですね。
 経験や知識に頼らず、ありのままに状況を把握していくことは、かなり難しいことですね。そのために「禅」などの修行がつくられたのでしょうか!

ねぎらいのコトバをかけたいもの!

 どんなとき、どんなところでも「、どうもありがとう」は言いたいですね。ちょっと気に障ったときでも「ありがとう」と言えば、自分の気持ちが収まりますね。
 このような習慣が身につくと、自分の思い込みもゆるやかになり、自然に「どうもありがとう」と言えるようになります。忙しい中にいるとなかなか難しいのですが、これも「慣れ」です。日ごろから練習しておきましょう。

自分は幸福でないと思っている人は!

 「幸福」を辞書で引くと「不自由や不満もなく,心が満ち足りている・こと」なっています。「不自由や不満はない」が「心が満ち足りている」とは思っていない人はそれなりにいるのでしょう。しかし、その人達は「不幸だ」とは思っていない、と思います。
 そうならば、「不自由」と「不満」にどのように対処するか、という問題になります。「不満」は辞書では「十分に満たされていないと思うこと」になっています。
 そのとき、満たされていないことを「きめ細かく、具体的にしているか」、「抽象的なままか」で、かなり違ってくるのでしょうね。
 抽象的なままでは、解決策は見えてこない、不満が続いてしまうのでしょうね!

「やらされた」感が強いと責任転嫁が生まれる!

 「やらされた感」を一番感じるのはマスコミです。視聴率アップのため、スポンサー確保のため、販売部数増加のため、あるいは、出演回数を増やすため(減らさないため)などを感じてしまいます。
 オリンピックで元選手のコメントには「やらされた感」を感じることはあまりないのですが、コメンテーター(解説・評論する人)の人達には、なにかしらの「やらされた感」を感じてしまいます。
 演出なのかも知れませんが、「状況・事実の把握」に対する熱心さをあまり感じることができません。ある面だけを捉えてコメントしているようです。
 最近は、スペシャリスト指向で、ゼネラリスト(広範な分野の知識・技術・経験をもつ人)として努力していこうとする人が少なくなっているのでしょうね!

1ヵ所に留まりすぎている=同じことをやっている!

 壁に突き当たっているときは、自分のアタマ中心で考えてしまいます。そこに、状況の把握、他人の意見を取り込める余裕はありません。
 新コロナでの対策も壁に突き当たっています。専門家集団はアタマだけで考えているから、ということも関係しているのでしょうか。
 専門家達の中の摩擦型の人は、頭が切れ、何かにつけて確信的です。また、自分の流儀を強引に押し通そうとします。彼らは他人をいらだたせ、苦しめるという性向を持っている面もあります。時には「ありのままを語る」という口実のもとに他人を批判し、攻撃しながら、当の相手の感情をまるで理解しません。彼らは自分よりアタマの回転の遅い人たちには我慢がならない。そして、自分の論理を、唯一の正しい意見として、他のみんなが受け入れることを期待します。実は、この手の人の多くは「意見」なるものはもっていません。ただ「事実をはっきりと自分流に見ている」だけです。専門家の知識は、現在の情報を「過去の知識」で解釈してしまいます。
 ずいぶん昔に製造業に広まったトヨタ流の改善手法など、もれのない現状把握に95%位の力をつぎ込んだ後、そこから見えてくる改善案などにも取り組んでみたらどうなのでしょうか。これはマスコミの情報伝達にもいえると思うのですが!

『有用な人材』になるとは限らない!

 共同体での「有用な人材」とは、やはり、その共同体において何かしらのメリットを生む“しくみ”をつくる人、また、そのしくみを有効に活用していく人なのでしょう。それがお金に関係しているかどうかは別にしてです。

 昔からの共同体に残っている通過儀礼は、共同体のしくみを担当できる人として周りの人たちから認められる、という儀式なのでしょう。

 農耕文化が始まる以前は、他の動物と同じように、共同体の必要性はほとんどなく、家族を中心として単位で生き残り作戦を行っていたのでしょう。

 しかし、農耕社会になると共同体は大きくなり、それぞれの役割ができ、周りの人達と協力していかないと、生き残っていけなくなったのでしょう!

自分でつくった固定観念から解放!

 場違いなところだと感じた瞬間から、緊張し、居心地が悪くなります。早くその環境から逃げ出したくなります。しかし、何かしらの理由があるため、そこにいるのですから逃げ出すこともできません。
 自分で自分を無理やり信じて、居直るしかないのでしょう。自分の思い込みで、プレッシャーを感じているだけだと、思うしかないのでしょうか!

豊かさを受け取ったら出す!

 「目標を設定して努力をする」と、よく言います。それも、できるだけ明確な目標を立てて取り組むこと、と。 確かにそうなのでしょう。しかし、世の中が大きく変化しているとき、あるいは、まだ正解が見つかっていない事に取り組むとき、こんな時は明確な目標の設定はできません。だから、何かしらやっていることに、何かしらの楽しみを見つけなければ長続きしません。

 今の勉強法は「答えがある」という前提の上に成り立っています。それも、できるだけ狭い(専門の)範囲で考えると、より良い答えが見つかる、という考え方です。

 話は変わりますが、新コロナの対策でも、失業で自殺する人の数は新コロナの死亡数にはカウントされません。専門家会議の検討対象外なのです。また、一年半経過したにもかかわらす、各病院の枠を越えた組織化、非常時の専門スタッフの担当範囲の見直し、専門外の人の応援態勢の整備、全体の組織化などが、バラツキがあり進んでいかないようです。専門家ほど、考える範囲が狭く、これが平和ボケなのでしょうね!

グズグズ延ばしから抜け出るコツ!

 気分転換は「手先を動かす」のが良いようです。できれば木や粘土などで何かを作ると、手先を微妙に動かす必要があり、そちらに気が集中します。すると、他のことなど何にも考えなくなります。
 昔は自動機械などなく、指先を微妙に動かすことが多く、精神的には健康だったのでしょう。現代は手先を微妙に動かすことが少なく、頭を使うことが多いので、精神的な病が増えているのでしょうか? そのような状態を防ぐには、指先を使った微妙な作業が必要な趣味は、効果があるのでしょうか?

人と人の関係は「機嫌よく」を追求!

 「簡単な問題 」→ 「簡単に考える」、「複雑な問題」 → 「複雑に考える」のはなぜでしょう? これは複雑な問題なので、複雑に考えてしまいますね。「人間はそうゆうものだ」としてしまいましょう。
 少し問題は違いますが、最近自動車事故で、アクセルとブレーキの踏み違いが発生しています。クルマのギアがオートマチックになり、運転が簡単になりました。運転が簡単になると、注意力が低下し事故が起きやすいのですね。クルマの運転は、年齢が上がるとマニュアル車のほうが、事故が起きにくくなるのでしょうか、あるいは、運転免許返納の思い切りがつくようになるのでしょうか!

ミスを犯す五つの状況!

 子供時代から、多くの失敗をする経験は大事なことでしょう。子供時代の失敗の多くは、テストでの間違いではなく、遊びのなかで“危険”な経験を積むことでしょう。
 この経験なかで、「危険を感じたとき、ゆっくりと慎重に考える」ことが、自分の身を守ることに大事なことを経験します。

社会に出てからは学びの質を変えること!

 定年退職後は、特に学びの質を変えなければなりません。組織の中で身についた思考を続けていると、いわゆる“老害”という状態になりかねません。定年後、年月がたつにつれ、ひどくなっていきかねません。過去に蓄積した“思い込み”を捨てるためには、まずは学ぶこと、それも、「学びの質を変える」ことが必要です。たた注意しなければならないことは、定年になってからでは少し遅いようです。少なくとも、定年の五年前から、できれば十年前から学びの質を変える準備が必要だと思います!

自分自身と「競争」する!

 新コロナの伝染での社会の変化にうまくついて行く人は何パーセントくらいなのでしょうか? 回りが変化の状況を正確に(思い込みなしに)把握し、現在の自分も正確に把握し、やれることを見つけ、実行に移すことができる人。学校での学びでだけは社会の変化にはついていけません。ただ、幸いなことに、劇的な社会変化にはならないのでしょう。
 日本は、四季があり、自然災害があり、地域風土の違いもあり、日常的にある程度の変化に、ごく普通に対応できています。このように変化が日常的にある環境は、ある程度の社会変化にも対応できるのでしょう!

「できないに決まっている」という思い込み!

 「思い込み」には気をつける必要があります。特に、一神教の社会では多彩な考え方の受入が難しいようです。アメリカ大統領のトランプ氏が選挙の時に、「選挙に不正があって実際は俺が当選してるんだ」という情報を流した。トランプの支持者たちは、「トランプが選挙に負けることははずがない」と思い込んでいるため、「選挙に不正があるかどうあるか」は関係なく、自分の思い込みを正当化する情報を信じている、ということだそうです!

まずチャンスのある仕事からやってみる!

 「きっかけ」とは、刀で切りつけるタイミングがもとになっているとのこと。鋭敏な注意力が必要だったのですね。その注意力がなければ、チャンスの多くを見逃して、自分が危険になるのですね。日常、のんびりと過ごしていたので、多くのチャンスの「きっかけ」を見逃していたのですね。今のように、伝染病の蔓延で社会が大きく変わろうとしているときは、鋭敏な注意力を持っていないと、チャンスを見逃してしまうのでしょうね!

いろいろな考えの人がいるもの!

 「いろいろな考え」に対応するには、厖大な知識が必要です。いまはNETでの検索ができるため、昔に比べれば多少は便利になっています。しかし、NET検索は自分の都合の良い情報を検索してしまい、より“思い込み”、”固定観念”を強くしてしまうところがあります。すると「いろいろな考え」をますます受け入れられなくなってしまいます。やっかいですね!

これ以上マイナスにならないように!

 なかなか解決策(答え)が見つからないとき、散歩をしたりして、気分転換をすると良いとされています。でも、昼間から寝る前まで、あまり深く考え過ぎずに考え事をしていると、寝ながら解決策が浮かんでくることがあります。それも、起きているときにはなかなか思いつかなかった答えが浮かんできます。おそらく、寝ている間は、先入観や思い込みから解放されているからなのでしょう。こうなると楽ですね!

自分の才能を見つけ、楽に楽しむ!

 頑張って能力を発揮する人、普通にやっていて能力を発揮する人、がいます。外から眺めていると、両方ともそれほど違いが見えないものです。外から見て、頑張っていても、本人は自然にやっていると思っているようです。やはり、自分が好きなもの、負担を感じないものを見つけて、楽しくやって、能力が発揮できるものを見つけられるといいですね。本人はそれには気がついていないのでしょうが!