頭のよさだけを目標にすると!

 高校までに法律を学ぶ機会は多くありません。憲法は若干学ぶのですが、商業高校以外では、民法や商法を学ぶ機会はほとんどありません。
 私は商業高校だったので、民法と商法の学課がありました。両方とも同じ先生だったのですが、最初の学習の場面で、「法律は最低のマナーだから………」で始まりました。この意味は、最低のマナーを守ればよいではなく、もっと上のマナーを目指せ、という意味で理解しました。古くからの商人の町でしたから、長く商売を続けて行くには、法律を守るだけではやっていけない、という意味も含んでいたのでしょう。
 立法を行う国会議員すら、最低のマナーである法律を守れない人もいます。国会での質問以外では、名誉毀損になりそうな質問をしている議員もいます。これらを見習ってしまうと、見習った人の人生は、終わってしまいかねないですね!

北極振動も異常気象を起こす一因!

 世界的な気候変動も、もはや異常現象とは言えなくなりつつあります。最近はロシアのウクライナ侵略で、ニュースで取り上げられる事が少ないのですが、異常現象が起きているようです。
 ロシアでは、2021年の10月までに森林火災で日本の国土の半分に相当する面世紀を焼失ししています。また、2022年の春にも、2021年を上回る勢いで焼失面積が増えたといわれております。そのことから目をそらせるために、ウクライナ侵攻を継続しているのでしょうか?
 権力を一旦手に入れると、やはり手放すことが出来なくなるのでしょうね!

広く、深くという「体験」が必要だ!

 インターネットの普及で、情報の収集が手軽に出来るようになった今、いろいろな体験で、五感を使った情報収集力が、育たなくなったのではないかと、心配です。
 自然の中での体験は、ある面、危険な部分もありますが、一瞬で危険かどうかを判断するため、五感からの情報収集が敏感になり、しかも、即時に安全な行動を選択しなければなりません。
 インターネットでの情報収集は、そこまでの多才な器官から得た情報をもとにした、一瞬の判断を必要としません。
 ただ、いまは、自然の中といえども、あまりにま安全対策がされてしまい、五感からの情報をもとにした一瞬の判断は、必要がないようですね!

少ないもので八面六臂に活躍させる!

 最近の電化製品や道具類は便利、というより、便利さや多機能を追求しすぎのように感じます。その結果、手の器用さを失ってしまいました。
 手からの信号を脳に伝え、その信号を元に、器用に体を動かし、その状況に対応する、というしくみが身についていません。
 足も同様のようです。足の指を使わなくなり、足の指でバランスを取るのではなく、手でバランスを撮っているように見えます。足の指は、親指側で足の内側の筋肉に力が入り、足の小指側で足の外側の筋肉に力が入ります。足の指からの情報で、足の筋肉でもバランスを取っているようです!

日本古来の「恥の文化」は!

 日本は「恥の文化」と言われています。自分の価値観より、周りの価値観の方が重要です。これは災害が多い社会で生きるための知恵なのでしょう。
 しかし、災害がここ数十年は少なかったので、平和ボケしてしまい、恥の文化の説得力は少なくなりつつあるようです。
 ただ、これからは災害が増えてくる雰囲気があります。電気が止まり、水道が止まったとしたら、水はどのようにしかすか?
 たとえ給水車が来たとしても、運ばなければなりません。お年寄りや病気の人、女性の人、二階や三階ならともかく、それより高い階にお住まいの方は、男性でも大変です。飲み水くらいならなんとかなりそうですが、それ以外は助け合いがなければ難しいですね。
 やはり、周りのある程度配慮しtた生活スタイtるは必要なのでしょうね!

"魂がよろこぶほう"を選ぶ!

 お金を稼ぐため、特定の知識や技術を身につけ、専門家を目指す時代になっています。専門家を目指すと、多くの人はその分野だけに努力するようになります。
 企業も得意の専門領域のみ技術を開発しようとします。その結果、集中して生産してしまいます。これを製造業や農業、漁業などが行った結果、運送距離が長くなり、燃料消費量が上がり、結果的に温暖化につながっているのでしょう。
 また、家庭で使ういろいろな製品も専門化し、種類が増えていきました。と同時に、一つの道具を多様に使う器用さを失ってしまいました。
 少ない道具を、いろいろ工夫し、練習し、多様な使い方ができる能力も身につけることができなくなってしまいました!

物をたくさん持つよりも体験を重視!

 人間が生きていくにはお金が必要です。それも、100%お金に頼る生活になっています。
 できることなら、食べ物の60%位は、自分で生産できれば、もっと安心できる生活ができる気もするのですが。
 生きていくために、自分のものは自分で作ることで、心がもっと豊かになるのでは? と思っても、今の社会のしくみは、お金がなければ生きていけないですね!

雑談をしながら互いの関係を築く!

 知識教育が進み、五感からの情報をもとにして、自分で考えることが少なくなっているようです。
 「自分で気づく」そして、「どうしてだろう」と考える。この能力が劣化しているようです。
 自分が、自分で気づき、自分で考えることが増えてくれば、いつの間にか、自分を好きになってきます(嫌いではなくなってきます)。
 自分で気づいたこと・考えが、他人に感謝されれば、自分をもっと好きになることができますね!

相槌は、話を好意的に聞いてくれている!

 「聞く技術」の練習も必要ですね。「話す技術」はある程度の意識は向くのですが、聞く方は、どちらかというと疎かにしています。テレビで、聞く方の画像が画面の一部に表示されますが、私たちも見習う必要がありますね。
 聞く技術が上がれば、聞くことができる内容も豊かになるのでしょうね!

まず、心を解きほぐす!

 どうして人は、個々人のそれぞれの違いを大切にしないのでしょうか?
 「みんな同じ方が居心地がいい」と感じているようですね。
 最近は「自分で考える」ということが苦手になっているようです。そのため同類の人達と付き合うのでしょう。
 その原因の1つは、情報を早送りで収集する。また、講義なども早口になっています。歌もそうですね。早口は、考える時間を阻害するため、受け取った情報を、そのまま受け入れてしまいます。
 そのためか、自分自身で考えることが少ないため、「同じような人が意思疎通がしやすい」ということになるのでしょうか!

「もっと、もっと」と!

 なぜ、自分より下の人や子供に、「もっとガンバレ」と言ってしまうのでしょうか?
 取り組み方を、具体的に「こう考えれば……」と方向を示す言葉が必要なのでしょうね。
 知識教育が進んだ結果、自分でいろいろな情報を五感で収集し、それをもとに対応策を考える人が少なくなってしまいました。むかしのように「やって見せて、見て盗め」が成立しにくくなっています。
 知識は、基本的には過去のもの、そして、何かしらの資料、あるいは測定が出来るもので成り立っています。
 最近、研究者の方のラジオ番組を文字化しました。それと、その研究者の方の本を読んでみると、ラジオの方が参考になりました。
 本は、既に確定したものを修飾した表現になっています。しかし、ラジオでは「……かもしれないですね」という情報も含まれています。多少曖昧でも、それで良いのでは、と思います!

悪いのはわかっているけれども!

 「自分が悪い」と気づきながら、「悪いのは自分ではない」フリをしてしまうと、それを正当化しようとしなければならなくなります。そして、ますます状況が悪くなっていきます。
 ロシアのプーチンさんもそうなのでしょうか。
 このような資質は、子供時代の親子関係が元にあるのでしょうか?
 子供時代、できれば自然の中で自由に暮らすと、大人になっても自由なこころが育つのでしょうか。
 もしそうなら、地方での8サラ・2農(8割はサラリーマン・2割は農業)生活で、自由な心を持つ人がどんどん増えていくと良いですね!

殺伐たる世の中で「曖昧さ」が平和を!

 日本は「平和ボケしている」と思う人は多いのではないのでしょうか。その背景に、「曖昧さ」や「好い加減」を許容する社会があるのでは、と思います。
 一神教の社会のように、ハッキリと一貫した主張しか許さない社会では、その主張に反する社会との戦いに備えなくてはなりません。そのため、危機意識は当然にして高くなるものと思われます!

まず傾聴することに専念すること!

 「自分の思い」を周りの人たちに話すことができるか、また、聞くことが出来るか。
 話すことも、聞くことも、案外難しいことですね。日本では、自分より、社会とのつながりを重視します。そのためか、自分のホンネをあまり話しません。
 それが原因なのでしょうか、匿名でも可能なSNSでは、平気で人を批判することが起きていますね。
 ホンネを話すこと、そのホンネにこだわること、そのホンネを共有する人達としか付き合わない人、外国には多いようですね!

最大の富はわずかな富に満足すること!

 「満足」とは「十分満ち足りていること」なのですが、お金にこだわる人々の多くは、「足りていること」では満足できません。
 「権力(他人を支配し従わせる力、強制力)」や「名誉(すぐれていると認められて得た尊厳、体面、面目)」でも、同じく満ち足りていることでは、満足できないのでしょう。
 日本では、独裁者は織田信長ぐらいなのですが、ヨーロッパでは独裁者は絶えないようですね!

自然にいろいろなものに目を配る!

 自然にいろいろなものに目が行くようになると、気づきが多くなります。
 例えば、ホームページだ町を紹介する写真を撮っていると、カメラを持たないで歩いているとき、あるいは、クルマを運転しているときなどでも、自然に周りに目が行きます。
 また、いろいろな歩き方をテストしていると、足の使い方だけでなく、腰の動き方や上半身の動きなどにも目が行きます。高速道路のパーキングエリアの人達の歩き方、坂が多いところに住んでいる人達の歩き方など。
 それに加え、サッカーでボールを蹴るとき、テニスや卓球でラケットでボールを打つとき、これらは足と腰と手と、肩が右側(あるいは左側)が同一方向に動いています。むかしの「ナンバ歩き」のようなからだの使い方のようです。
 興味の範囲を広げ、自然に、いろいろなものに目が行くようにしておきたいものです!

しっかりとした夢を持つ!

 夢を持つことは大事なこと。でも、今を大切にすることは、もっと大切ですね。将来の夢ばかりに気持ちが行ってしまうと、今がきつくなることもありますね。
 先ずは、今を大切にしていれば、いつか夢にたどり着けます。周りの人に夢を話し、聞くことで、今を充実しながら、将来の夢にたどり着きましょう!

因幡(いなば)の白ウサギの話!

 「因幡の白兎」に登場するウサギは、嘘がバレると「酷い目に遭う」と。イソップ物語の「カメとウサギ」では「気を抜くと負けてしまう」となっています。
 欧米では、ウソであろうと本当であろうと「最後まで自分の主張を貫け」ということのようです。
 日本では、嘘をつくと社会から除外されてしまうので、「ウソはつくな」ということになっています。
 日本社会の方が、ウソに対してきびしいようですね。
 ネット社会では、簡単にウソ情報が流れてしまうので、注意が必要ですね!
 

アゴが少し上を向き、鼻まで突き出す人は!

 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう! 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう!

あきらめは心の養生!

 諦めは「手の施しようがない」ということですが、中には、手の施しようがあるにもかかわらず、諦めることもあります。その大半は、面倒だから。
 これでは自分の能力の向上にはつながりません。普段から困ったときには、手伝ってもらえる人、気分転換をしてくれる人を、つくっておくことも大事ですね。
 核家族化し、都会にすむ人が多くなった今、人とのつながりが、重要な課題になっていますね!