今年は「辰年(たつどし)」、辰は十二支の中で唯一の架空の動物です。ところで、十二支の始まりの「ねずみ」は、害を及ぼすのに、なぜ一番目なのでしょうか?
それは、危険を予知する能力があると、されていたためでしょうか。
ハツカネズミの心臓の鼓動は、毎分650回で寿命は2年程度、生涯の心臓の鼓動回数は人間の4分の1程度働いています。
自明が2年といっても、人間に換算すれば20年程度の寿命です。おそらく時間間隔もかなり違うのでしょうね。寿命だけでその生物の一生を考えてはいけないですね!
1月 2024のアーカイブ
尾道 お茶子娘の供養かんざし燈籠「八阪神社」
この神社のお祭りで、勇壮な喧嘩神輿の三体廻しが、渡し場、中央桟橋前、浄土寺下の三ケ所で行われていました。昔は非常に激しく、御輿を海に投げ込んでいる場面がありましたが、いまはどうなっているのでしょうか?
この付近は、「新街」と呼ばれる飲み屋街。横道に入り込むと「迷路」です。しかし、どこかで広い道に出ますので、まあ、なんとかなります。しかし、酔っ払っているとどうなるかな?
志賀直哉が尾道に住んでいた頃は、この界隈を遊び回っていたのかな?
尾道の花街の人通りの激しい店先で、酒臭い乞食坊主が寝ているので迷惑この上ない。その人が俳人の種田山頭火であったとか。
あなたの「生きがい」は何でしょうか!
「生きがい」というものを、難しく考えすぎる傾向はありませんか?
人から「ありがとう」と言われると、少し嬉しいですね。それも生きがいです。
社会で生きていると、人から「認められる、感謝される」こととは、生きがいにつながります。
ただし、貧困の社会を抜け出すと、ギャンブルや酒、麻薬や薬の多量使用などを、生きがいの代替にしてしまうこともあります。
また、ネット社会になり、自己満足だけで情報を拡散する人も出てきています。以前は、ある週刊誌などだけでしたが!
厚木 かっては石神社と呼ばれた「荻野神社」
句碑 「大空は 蓋ふたも實ももなし ほととぎす」
「蟹殿洞々(かにどのとうとう)」作
荻野の俳人・蟹殿洞々は、明和4年(1767)に上荻野村に生まれた。俳人の五柏園丈水に師事したが、丈水の没後は嶋立麾系の俳人たちと親交を結んだ人です。
荻野神社の社殿の西側約5mのところにあり、樹齢約600年推定され、高さ約30mもある大木です。古くから御神木として扱われ、多くの天災に遭遇しながらも生き続けています。
順風満帆なときほど注意を!
習慣というものが、自分の行動や生活を決めていることを、改めて認識しないといけないですね。
習慣というものの多くは、自分が子供の時に出来ています。脳の発達は25歳頃までかかるといいます。しかし、習慣の多くはその前に出来ているようです。
ということは、25歳を過ぎて、習慣を見直し、自分の行動や性格を見直してみることも必要なようです。
いま順風満帆であっても、その先の人生を考え、行動や性格を再検討する必要があるようですね!
座間 悪疫流行を抑えたお礼に「座間神社」
欽明天皇の時代は、国中が天候不順で五穀が実らず人々が困窮していました。欽明天皇がト部伊吉若日子に天災の原因を占わせると、賀茂の神々の祟りだと分かり、そこで賀茂県主家が四月吉日を選んで馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて駆競をすると天候は回復して五穀は実り、人々も平穏を取り戻したといいいます。
また、仏教が日本に伝わったときでもあります。仏教はインドにうまれて中国や朝鮮半島から日本に伝わった。最初の仏教公伝は欽明天皇十三年(552)でした。
神社にある狛犬は外国からもたらされたもの!
狛犬は、平安時代には宮中に対(つい)で配置されていたと言います。そのためでしょうか、尾道の市役所の前に、建て替えられる以前は大きな狛犬がいました(建替後はいなくなってしまいました)。
鎌倉時代以降、神社での前に置かれるようになったのですが、神社によっては狛犬が居ないところもあります。何か基準があるのでしょうか?
鎌倉 山門を潜ると石仏が並ぶ参道「光触寺」
鶴岡八幡宮から金沢街道を東に進み、滑川の流れに沿って朝比奈峠方面へ。明石橋を過ぎて間もなく、十二所バス停から徒歩3分ほどのところにあるのが光触寺である。弘安2年(1279)に一遍上人によって開山されたお寺で、本尊は運慶作といわれる阿弥陀如来三尊象。国の重要文化財にも指定されている。この阿弥陀如来三尊象は頬が黒いの頬焼阿弥陀とも呼ばれている。その由来の描かれている『頬焼阿弥陀縁起絵巻』が光触寺の寺宝として残されている。
なぜおみくじを木の枝に結ぶのか!
神社に行くと、おみくじがたくさん木に結びつけられた神社に出会います。この神社のおみくじは、凶が多い神社なのかな? と思ってしまいます。
おみくじに凶が出たとき、木に結び、神様のお許しや加護を得るためだそうです。凶をたくさん出した方が、その神社の信仰が強くなるため? なのでしょうか!
尾道 大きな反りの豪快な鳥居「亀山八幡神社」
注目したのは、鳥居上部の笠木、島木が一本物の石から創られている事と、反りの大きさである。普通島木部分は柱間において直線であるが、この部分までが大きな反りが付けられている点である。創られた時代は、亀山八幡宮の鳥居が萬治二年(1659年)と支柱に彫り込まれている。八幡宮鳥居支柱に刻まれた文字を読むと、大工石屋与七郎、小工石屋助六、石屋中と有り棟梁与七郎、助六を中心に石工集団で創っている事が伺える。笠木島木が一本物の石で、巾約20尺5寸(6.15m)反りが大きく、豪快で力強く両翼を上げた迫力満点の鳥居で、横綱の不知火型の土俵入りをイメージして創られたのではないかと、推測したい。
人は地球の生態系の一要素に過ぎない!
現在、もっと自然を知って、もっとその自然を大事にしなければならない時期ですね。
生物のもとは、それほど違いが無いものだったのでしょう。それが変化し、その変化による違いに目をつけ、その違いが、いかに自分を有利な状況に置くか、という視点で進化してきたのでしょうね。
その変化の目の付け所が間違ってしまうと、衰退の一歩をたどってしまうのでしょうね。人間の世界も同じようです。でも、もっと自然を大事にする人が、有利になると良いのですが!