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 浄土寺山には、大阪城の石垣につかわれた石の残りも残っています。豊臣秀吉が天正十一年(1583)全国制覇の根拠地として大阪に壮麗な城を築きましたが、その石垣に瀬戸内海沿岸の石が多く用いられました。尾道の浄土寺山からも大阪へ船で積み出されていました。 どのようにして運んだのか分かりませんが、この辺りは海の干潮と満潮の潮の高低差が3m以上もあるので、干潮のときに、海の中にある石にロープをかけ船に結びつけ、満潮になると、船と一緒に石も海底から離れるので、沖に出ることができます。そのようにして運んだのでしょうか?