縄文の昔から寄生虫と共生してきた!

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 戦後生まれの人は、「寄生虫は害しかない」という思いが定着しています。しかし、多くの寄生虫は、宿主が死ねば、共に死ななければならない運命のため、宿主とうまく共生する機能を持っていたから、生き残ってきたのでしょう。もっと「正の効用」に目を向けなければいけないのでしょう!

厚木 馬の安全とその供養の「七沢観音寺」

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 七沢字観音谷戸2741番地の奥まった所にあり、奈良時代後期元正天皇(715~723)のころ創建と伝えられます。その後土御門天皇の時不幸にも野火にて焼失し廃寺のままであったが、日向一ノ沢の浄発願寺の中興開山、木食空誉禅阿上人が七沢鐘ケ嶽に創始した禅法寺と共に開山された天台宗の寺です。

トップを目指すのならば!

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 「忖度」という言葉が定着してきました。しかし、大昔より組織内での出世を目指すなら、上司の顔を見て、ご機嫌伺いをしながら仕事をすることが常識。
 官庁の人事を、2014年より官邸主導で行うようになり、より大臣などの顔色を伺う必要性が高まった結果、「忖度」が定着したのでしょう。
 いまの国会での野党の政府追及は、法律を整備する国会議員の役割から言うと、制度・システムの不具合を追求すべきなのでしょう!

尾道 尾道で最初にできた神社「艮(うしとら)神社」

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 艮神社は尾道で最初にできた神社で、806年の鎮座です。806年というと平安時代の初めで、千光寺と艮神社は創建の年が同じになっています。
 同時期にこんな大きな神社と山にへばりつくような寺が建てられたのです。千光寺の工事はさぞ大変だったのでしょう。しかし、なぜこんなに近くに同時に大きな寺と神社を建てなければならなかったのでしょうか。

「頑張ります」は、“何をどうする”に!

 「頑張ります」と言うタイプと、まったく言わないタイプの人がいます。「頑張ります」と言っている段階では、まだ原因の追及ができていないのでしょう。もっと「どうしてだろう?」と、何回も、何回も、考えるクセがつくと良いのでしょう!

鎌倉 北条方の戦死者を弔う「九品寺」

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 創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
 1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
 北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』
 鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。