内裏山霊獄院 九品寺(浄土宗)
鎌倉市材木座5-13-14  標高 5.3m
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 創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。

 1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
 北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』

 鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。

 北条方が鎌倉攻めをされたとき、なぜ海から脱出しなかったのでしょうか? 水軍をもっていなかったのでしょうか?

「九品」とは9種類の往生のこと。
開:9:00~16:00  休:無休  料金:無料
 開基は、新田義貞と伝えられています。1333年(元弘3年)新田義貞軍が北条氏を討つため鎌倉攻めをしたとき、この場所に本陣をかまえたということです。北条氏が滅びたあと、義貞は北条方の戦死者の霊を慰めるため、1336年(延元元年)この地に九品寺を建て、義貞が日ごろから尊敬していた風航順西(ふうこうじゅんさい)和尚(おしょう)を京都から招いて開山とし、戦死者の霊を厚く弔ったといいます。
 山門と本堂にそれぞれ掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、新田義貞が書いた字の写しと伝えられています。もとになった額は、傷みがひどいため本堂に保存されています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 「内裏山(だいりさん)」という額のかかった山門を入ると、境内の正面奥に本堂があります。本堂前には、左右にハスの葉をかたちどった銅製の天水受(てんすいうけ)がおかれ、本堂正面の軒下には、中央に龍の彫刻があります。


 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 寺宝のひとつに、義貞の直筆の「内裏山」の写しの額




 龍の彫り物
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