鎌倉 頼義が勝利の感謝のため勧請「元鶴岡八幡宮」

191216a_motohatiman.jpg

 由比若宮、由比八幡宮ともいう。
 1063年、陸奥守に任じられていた源頼義(頼朝の5代前)は、陸奥の豪族阿部氏を討つため、勝利を源氏の氏神である山城(京都)の石清水八幡宮に祈願した。その戦いの勝利に感謝するため、頼義は鎌倉に石清水八幡宮を勧請した。それが鶴岡八幡宮(元鶴岡八幡宮)です。 その後、1081年、源義家(頼朝の4代前)修復した。
 源頼朝が鎌倉に入り、先祖を崇めるため、1180年、鶴岡八幡宮を小林郷松ヶ丘に遷した。それが現在の鶴岡八幡宮です。

鎌倉 新田義貞が開基した「九品寺」

191120a_kuhonji.jpg

 開基は、新田義貞と伝えられています。1333年(元弘3年)新田義貞軍が北条氏を討つため鎌倉攻めをしたとき、この場所に本陣をかまえたということです。北条氏が滅びたあと、義貞は北条方の戦死者の霊を慰めるため、1336年(延元元年)この地に九品寺を建て、義貞が日ごろから尊敬していた風航順西(ふうこうじゅんさい)和尚を京都から招いて開山とし、戦死者の霊を厚く弔ったといいます。

鎌倉 タブの木が枝を広げる「八坂神社」

190620a_yasaka.jpg

 八坂大神(やさかだいじん)は、扇ガ谷(おおぎがやつ)の鎮守の神で、昔は相馬天王といい、相馬師常(もろつね)が移してまつった京都の八坂神社の神と、相馬師常をまつっていました。師常は頼朝(よりとも)挙兵の際、父と共に頼朝を助けた人で、このあたりに住んでいたといわれます。
明治以後は八坂大神と改め、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・桓武天皇・葛原親王・高望王としました。

鎌倉 スサノオノミコトを祀る「八雲神社」

181224a_yakumo.jpg

 八雲神社は、もとは牛頭天主社(ごずてんのうしゃ)といい素戔嗚尊(すさのおのみこと)をまつる神社でした。文明年間(1469~1487年)山ノ内上杉氏と扇ガ谷(おおぎがやつ)上杉氏が争っていたとき、上杉憲房(のりふさ)が武運長久を祈り、疫病が流行しないことを願って京都祇園(ぎおん)の八坂神社をこの地に移して八雲神社にしたといわれています。

鎌倉 「元鶴岡八幡宮」の横に芥川龍之介が住んだ

181212a_motohatiman.jpg

 元八幡は、相模守であった源頼義が京都の石清水八幡宮に戦勝を祈願し、前九年の役(1051~1062年)で、奥州の豪族の阿部頼時・貞任に勝って京へ帰る途中、1063年(康平6年)に鎌倉に立ち寄り、由比郷鶴岡のこの地に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を移してまつって建てたと伝えています。
 後三年の役のとき、頼義の子の義家が戦勝を祈り、社殿を修理したと伝えています。