本尊「阿弥陀如来像」は、圓應寺の閻魔大王を彫ったあまりの木で作られたことから「木あまりの像」、また、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれている。<br>
運慶作と伝えられる「木造地蔵菩薩立像」は、夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。裸形彫刻で普段は袈裟を纏っている。
1923年の関東大震災では、滑川を遡上した津波がこの辺りまで来たという。
赤穂浪士の岡島八十右衛門の三男が住持したと伝え、義士の画像もあつたというが、いまはない。
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江の島 たびたび裏山が崖崩れ「延命寺」
鎌倉 北条時頼の夫人により創建か「延命寺」
江の島 たびたびの崖崩れ「延命寺」
「此処は何なのかしら・・・・?」
閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
閻魔大王を筆頭とする十王の信仰は、鎌倉時代に流行した信仰で、死後に人は天国か地獄に行くと信じられていました。天国か地獄かの裁きを司るのが、十王で、裁きは七日ごとに七回行われるので、四十九日目には天国か地獄かが決定します。
最初の七日目は三途の川を渡り、冥府でまず秦広王の裁きを受ける。次の七日目(十四日目)には、初江王のもとで裁かれる。次々とさらに七人の王のもとで裁かれて、最後に閻魔大王に引導を渡されることになりまする。さらに、その後、百か日、一年、三年と、合計十回裁きがあり、それぞれ、そのときの十人の王が裁きが行なわれます。