法界寺は荻野新宿の中央に現存し、戦国時代の末期北条氏家臣松田右兵衛大夫康長の創建によるもの、
その後近世初期僧党誉の中興もあり壮大なる本堂を中心にして現存している浄土宗の寺です。
新宿日吉神社脇の大山街道沿いにあり、江戸幕府の山中藩参勤交代の「殿様道」に山門を構えた名刹です。
北条氏直が荻野郷の地頭松田康長に命じて造営。秀吉の小田原攻めの際、兵火にかかり以前のような繁栄は失われたことが相模国風土記稿に記されています。
尾道 奇祭ベッチャー祭の「吉備津彦神社」
寶土寺西側の鳥居のある一劃は吉備津彦神社、俗にいう一宮さんで、毎年11月3日文化の日に、尾道全市の子供たちを湧き立たせる奇祭ベッチャー祭の祭神で、ベタ、ソバ、ショーキーはこの神社から繰り出すのである。
神輿と獅子頭を先頭にベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神が市内を練り歩き、子どもたちを追い回す神事。「ベタ」「ソバ」が持っている「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、「ショーキー」が持っている「ささら」で叩かれると頭が良くなるとされ、子供達は「ベッチャー、ベッチャー」とはやし立てる。江戸時代に流行した疫病退散祈願から始まった西日本有数の奇祭。
「桃太郎」の話しに関係があるのでしょうか?
吉備の国は、後の令制国では備前国・備中国・備後国・美作国吉にあたるとのこと、尾道は備後国だし、桃太郎は、犬・猿・雉を家来にしている。ベタ・ソバ・ショーキーが三匹の家来だとすると似ています。それに、子供達を追い回し、叩いたりしています。
ものの見方を変える!
退職しても、「何かやること」をできる早く準備しておくことが大事です。
仕事をしている間は、なかなか難しいのですが、できれば「同じやり方」で、その対象が仕事なのか、趣味なのかと、切換ができると退職しても続けやすいです。
私の場合は、データベース(Access)で対応しました。
仕事をしている間は、仕事に関係する情報をデータベースに蓄積、同時に自分が興味がある情報もデータベース化しました。
仕事の比重が下がると、趣味の情報収集の比率を上げる、時間を持て余すことはありません。
そして、蓄積した情報を検索し、組合せ、何かを発見する、という趣味になります。
現在は、生成AIがやってくれますが、自分流の「知的生産の技術」を趣味にしてもよいのではないでしょうか!
鎌倉 水戸光圀が7日間ほど逗留「英勝寺」
スキルに頼らない賭博や宝くじ、非任意性の連続が起こる!
鎌倉 石仏補陀落迦観自在窟 「円覚寺 大方丈」
最近の異常な犯罪は、子供時代の学びにあるのでしょうか?
「ガキ大将」という言葉が消えて数十年たちます。ガキ大将とは、子供時代に年齢の違う子供達が、一緒に遊んでいた頃のリーダー役の呼び名です。
ガキ大将は、小さな子供の体力を見ながら、どんな遊びを、どのようにして遊ぶか、同時に、年齢の違い子供が楽しく遊ぶにはどうするか、いろいろと工夫していました。
子供時代に、「縦社会のノウハウ」を身につけていたのです。
リーダーの役割だけでなく、、小さな子供達も、リーダーという者の役割を学んでいました。
そのような学びの中で、社会での行動の仕方を身につけていました。
また、年齢の違う子供達の集団は、同学年での競争は、それほど気にすること無く遊んでいたので、不登校も無かったのでしょう!
相模原 西部 鎌倉幕府や北条氏の保護が「無量光寺」
1261年 23歳の一遍はこの地を訪れ、草庵を設けたのが始まり。その後上人は2度この地を訪れた。その高弟である他阿真教が1303年2月に遊行を終えて止住するために念仏道場を開いたのが起源であろう。1319年に真教が亡くなると、初期時衆教団の聖地となり、参詣者が引きも切らなかったことが他阿呑海の法語に遺っている。
鎌倉幕府が滅亡したとき、鎌倉幕府からの帰依を受けた無量光寺は一時衰退した。
戦国時代に無量光寺は歴代小田原北条氏の保護を受け、南関東を中心に勢力を誇った。しかし1590年に小田原北条氏が滅亡し、たび重なる火災のために、再び不振となった。
プラスに考える知恵の言葉 …… 一遍
「身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」
一遍は、伊予国の豪族・河野通広の子。河野氏といえば、瀬戸内海の水軍を率いた有力な武士である。しかし、承久の乱で京方について没落し、一遍が生まれたころは、かつての力を失っていた。
本田宗一郎、小さな工場時代「ホンダはやがて世界一になる」と宣言!
尾道 夕方“鐘の音”が市街に響く「千光寺」

見晴らしの良いところです。“観光のお寺さん”ですね。毎日夕方に撞く“鐘の音”が旧市街に響きます。
寺伝によれば806年に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、中世以前の寺歴は判然としません。
興趣千変万化、奇岩、奇勝など四季を通じて自然の神秘を探賞できます。
人間の体熱の40%は、筋肉より発生!
鎌倉 北鎌倉駅方面の街並みが良く見える「八雲神社」
元村社で山ノ内の鎮守である。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。例祭7月15日。境内社に稲荷社がある。小高い丘から見下ろすと北鎌倉駅方面の街並みが良く見える。古くは牛頭天王を祀ったため牛頭天王社と称していた。「相模風土記」に記すことによると、村人がこの地で疫病退散のために京都八坂祇園社を勧進したのが始まりだという。その後、この地に居を構えた関東管領上杉憲房が篤く信仰した。一方、社伝によると文明年間(1469~1486)に上杉家が扇ガ谷と山ノ内に分かれて争ったとき、山ノ内上杉家の憲房が武運長久を祈って、京都の八坂神社から勧進したという。
境内裏側には庚申塔群がある。この中には寛文5年(1665)の銘のある石造庚申塔が存在する。これは鎌倉市内最大最古。
また境内には清明石なるものがある。昔は十王堂橋を渡った道路の真ん中にあったらしい。この石をわざと汚したり、踏みつけたりすると祟りがあるという。しかし、この石を知らずに踏むと足が丈夫になり、足を痛めた人は石を清水で洗い、塩や線香をあげて拝むと治るとも言われたという。
他者中心の人は、心の眼を他者に奪われる!
厚木 樹齢約600年の御神木イチョウ「荻野神社」
脂質摂取量を減らし、糖質摂取量が増えた結果は肥満大国!
尾道 五重塔から三重塔へ「天寧寺 三重塔」
北朝鮮の金日成を、スターリンがでっち上げたエセ英雄だと!
鎌倉 洞窟の壁に磨崖仏「長谷寺」
同じ内容を話すにも、人により話し方がまったく違うこともある!
福山 「鞆の大仏」とも阿彌陀如来坐像「阿弥陀寺」

木造阿彌陀如来坐像(鞆の大仏) 光背までの高さ約4m 。元禄16年(1703)に作られた丈六の大仏。
造像を発願した中興・雲洞上人は、多くの人々を救いたいと願っていたところ、現に阿弥陀さまが現れ、その姿をもとに仏師に願いこの像を作ったといいます。