自分の世界を「公正」で「正しい」世界だ、と!

 正確に、間違いなく、他人から落ち度を指摘されることのないように、整然と仕上げないと気がすまない人。仕事上では良い面もあるのですが、退職後もこの状態では、本人は気づいていないかも知れませんが、周りは大変ですね。
 変化を受け入れる柔軟な前向きな心をもつことは、ボケないことにもつながりますが、周りにも、孫達にも良い影響が起きてくるのでしょう。そして、歳を取っても人間として成長する機会を得ることができるのでしょうね!

知性を獲得するのに年齢は関係ない!

 思考の老化防止のため、まず「ほんとかな?」でスタートし、次ぎに「提示されていることの反対のやり方だと、どうなるかな?」と頭を使うと、思考の老化を防ぐことができるのでしょう。
 現在は専門家指向が高くなっているようです。これが思考老化の原因になります。また、ネットでの検索の結果がAIの活用で、ますます情報が絞り込まれてしまいます。情報を絞ると多様な考え方ができなくなってしまいます。
 また、社会のしくみが整備されればされるほど、考え方が固定化します。
 極端な例ですが、「一夫一婦制度が人類が生き残っていくために一番有効な制度か?」と問われたとき、新コロナが蔓延している現在、数人の子供ができ、その中で「免疫力が強い子供が生き残っていく」と考えた場合、その可能性を広げるには「一婦多夫」で、多彩な遺伝子を持つ子供をつくったほうが人類が生き残れるのではないか、という思考もあります。実際に現在もそんな社会は多少ですが存在しています!

自己投資は年収の1割以内ならOK!

 出身大学や資格に頼る時代は終わりつつあるようです。AIの進歩は、予測できないほど早く、知識をベースにした資格は、不要になってしまう可能性が強くなってきています。
 AI中心の時代になった時、どの言語が専門分野において有効か、という現象も起きてくるのでしょう。単純な言語はAI化は行いやすいのでしょうが、機能的にはどうなのでしょうか。
 自分で、本をもとに8万件以上の日本語のデータベースをもとに、単語検索をしながら、いろいろな知識を組み合わせ遊んでいる私からみると、日本語はAIには難しい部分が多い面があるようです。また、地域・時代によって意味の解釈が少し異なるため、より難しいのでしょう。
 ただ、この面が、より面白く、意味深いものができる可能性を秘めていると思われます。

はつらつとして生きていること!

 「笑い」は、人とのつながりにおいては必須のもの。イラク戦争のときか、米軍の部隊がイスラムの牧師を訪ねるため町に入ったとき、その町の人々に囲まれ険悪な状態になった時、米軍の隊長が「笑え」と命令し、隊員が笑顔になると、険悪な状況が一変したという。その隊長は世界中を一人旅した経験があり、「笑い効果」を実感していたのだそうです、笑いは大事ですね。また、笑いは健康にも良いのですね。白血球が元気になり、免疫力アップにもよい影響があるようですね!

良いこともあれば悪いこともある!

 人の悩み事を聞くには、まづ「思い込み(先入観)」を捨てることですが、これが難しい。テストで満点が多いほど、経験が深いほど、専門的な知識が豊富なほど、長く生きていればいるほど、自分の考え方で相手を理解しようとします。これは、相手の話を、相手の立場で理解しようとはしていないのでしょう。自分の立場で理解しているのです。このような場合は、自分の意見は言わず、ただ、ただ、聴くことに徹した方がいいのでしょう!

人には親切にしたいもの!

 何も見返りを期待していない「親切」というものがあります。四国のお遍路のときの御接待(おせったい)など古くからあります。西日本に多いようですが、「てごうする」といって、「お手伝い」と無意識に使い分け、お返しをまったく気にしない手伝いがあります。この基本になっているのは、仏教の考え方なのでしょう。自分が生きている内に、できるだけ施しをすることができれば、極楽に行ける、と。そういえば、何かもらい物をすると、すぐお返しをする地域と、ついでのときに何かを上げる、といった地域があります。日本の中でも、各地でいろいろな風土があります。情報発信が東京中心になってしまったため、各地域の風土に無関心な人が多くなってきているのでしょうか?

自分しか見えない「自己中」!

 現在の都会は、能力主義を基本としているため、自己中心思考の人が集まりやすく、どのような場面でも「自分は正しい」ということを基本にして、自分の能力を発揮しようとします。疫病蔓延や災害時には、このような人々に、行動を変えてもらうのはやっかいですね。その人たちに異なった意見を分かってもらうには、現状認識を正確にやってもらう工夫をするしかないのでしょうね。もしかしたら、「自己中心の人達が、人類の生き残りの障害になる」ため、疫病を蔓延させてきたのでしょうか? 極端ですが!

リスクに強くなるしかないだろう!

 自然災害や異常な犯罪が増えてきています。このようなリスクは、なかなか避けることは難しいリスクです。リスクに遭遇したときに、そのリスクへの対処する方法を準備しておくことが必要です。ただ、想定外のリスクも起きてしまうため、なかなかやっかいですね。いわゆる災害の知識も大事ですが、生物としての本来の“カン”を磨いていくことも大切です。自然の中で、周囲のいろいろな情報を五感と通して、“第六感”を磨くしかないのでしょう!

NIMBY(ニンビー)の法則

 自己中心の基礎となっているものは、「思い込み」のようです。データで裏付けがあるようなものでも、その中には、都合の良いデータだけを取り出し、裏付けしたものもあります。森元首相の「会議のメンバーに女性が多いと時間がかかる」という発言は、思い込みなのか、データで裏づけられるのか、分かりませんが、大きな批判を浴びています。マスコミも、批判を流せば視聴率が上がると考え、実際のデータを調べようともしていないようです。正確な現状把握がなければ、的確な改善活動は始まりません。女性の地位の向上は、事実を正確にもれなく把握し、改善していかなければ向上しません。感情論だけでは一時的なもので終わってしまいます!

自分のことしか考えなくなると思い込みが生まれる!

 私たちは、個人的な願望に合う事柄は、すべて真実のように思ってしまい、そうでないものは、私たちを激怒させる。これは自分の「思い込み」によるものです。「思い込み=専門知識」ともいえるので、社会人であればプラスに働くことが多いのですが、そのため、思い込みから脱出することは簡単ではありません。書籍であれ、ネットであれ、テレビ番組であれ、自分の興味があるものにアクセスしてしまいます。ネット検索ではAI機能が働いているので、便利なのですが、視野が狭くなりがちです。異質な情報はなかなか見つけられません。最近はラジオのほうが情報の幅が広いようですね!

相手の自由を侵害しない!

 自己中心は、二十代の前半までに何とか卒業したいもの。もちろん、もっと早く卒業する人もいます。しかし、老後まで自己中心を続ける人もいます。今回の新コロナ伝染病に接すると、自己中心の人が、少しづつ少なくなっていきます。死者が人口の半分くらいまで行くと、自己中心の人は、生き残っていけなくなるのでしょうか!

白人たちが天然痘をインディアン散らした!

 伝染病が流行りだし、それに対する危機意識が問題になっています。こんな事態になって、やっと「平和ボケ(戦争時に自分の命を守る意識の欠如)」と「伝染病に対する危機意識は同じようなもの」と思うようになりました。やはり、安全な環境で育っていると、危機意識も育たないのですね。公園などの遊び場も、安全になりすぎ、人しか通れないような狭い道もほとんど舗装され、平地に多くの人が住み、鉄条網など見ることもなく、危険は少なくなってしまいましたね。「危険ボケ」は種の保存にとっては「無謀」なのでしょうか?

小さな動きから大きな変化を予測すべきだ!

 勘が鋭い人は、自然の中で生き残る可能性が高かったのでしょう。知識がなくても、無意識に安全な行動をとります。たとえば、耳のまわりで、ブンブン音がしたと思われた習慣(スズメバチに出会ったとき)、スーッと姿勢を低くし、低い方向に逃げてい行きました。その結果、スズメバチに襲われませんでした。おそらく、脳がハチの音と判断する直前(鼓膜が震えた瞬間)、危険を察知し、どうすることが安全なのか、考える間もなく、行動できたのでしょう。頭で考える以前に、適切な行動がとれる能力があると良いですね!

「毎日がつまらない」と思う人!

「此処は何なのかしら・・・・?」
 たびたびの崖崩れした墓地。墓石も遺骨も誰のものか判らなくなり、それらを祀るためる石窟を造り、納骨堂にしました。
 閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
 明治、大正、昭和と大雨があり、今の延命寺の上の方、頂上まであったお墓が崩れ、現在の形になったようです。
 くり抜かれた岩盤の入り口付近にお地蔵さま、少し奥には閻魔さまがおわせられ、洞窟奥には整然とお墓が並んでいます。

二兎を追うものは二兎を得る!

 昔から瀬戸内では二兎を追っていました。「半農半漁」といい、農業と漁業を並行してやっていました。瀬戸内は夏には水不足が起きやすく、農産物の収穫が不安定です。そのため、海が豊かなため平行して漁業もやり、食糧の確保を行っていました。現在、新コロナの伝染で社会が不安定です。1つの収入源だけに頼っていては不安定な人もおられるでしょう。リスクが大きくなっている社会では、二兎を追うことも場合によっては必要です!

苦しいとき、生き残れない!

 新コロナウィルスの流行で、ビジネスを変えなければいけない分野が出てきています。現状維持が出来るかどうか? 素早い判断が必要な時期です。みんなが撤退する分野で生き残るか、同じ仕事で別の方法や地域に移るか、新規分野に進出するか、事業を休止して待つか、それが見分けられる人に成功のチャンスがあるのでしょう。何年か後に結論が見えてくるのでしょうが、現状の変化に素早く適応して行けるかどうか、なのでしょう!

「人を見て法を説く」という!

 相手を説得するとき、男性は理屈で説得しようとします。しかし、理屈は万国共通ではありません。宗教によって異なる場合もあります。例えばユダヤ教やキリスト教文化の地域では、人間の祖先はアダムとイブで、類人猿ではありません。「猿から進化した」は成立しません。大原則ですらこのようなのですから、細かい部分では、地域によって異なることもかなりあるのでしょう。理屈に比べれば、「笑顔」は世界共通なのでしょう!

「上から目線」に注意!

 「上から目線」はどうして起こるのでしょうか? 人間の欲望は、「財力」・「権力」・「名誉」のようです。江戸時代は、この三つの欲望を分散することで長期政権をつくりました。三つの欲望をの背景に、「知識」や「経験」をもとにし、三つの欲望のどれかを手に入れると、だんだん「上から目線」になり、手に入れた欲望が大きくなるにしたがって、より「上から目線」になるのでしょう。そして真摯な人は「上から目線」から抜け出そうとして、いろいろと工夫し、各種の修行方法が創り出されたのでしょう。欲望から脱出できるひとは多くはないのでしょうが!

ある特定の先入観が入る場合!

 「先入観」、「思い込み」は、視野を狭くしてしまいます。ときには犯罪に至ることもあります。そのことに気がつき、それから脱出するために「禪」などの手法が開発されたのでしょう。座禅に没頭し、先入観・思い込みを「無」にする修行の方法ができたのでしょう。現代では禅と正反対の、「無」を「無限大の情報・知識」にし、無限大の多様性を追求する方法も、データベースを使用すれば可能になっています。ネット検索も大量の情報を扱っているのですが、AIが情報の抽出に関与しているため、一種の思い込み情報になっています。これを解消するには、自分たち(多様な人達で)で、知識・情報の蓄積を行い、個々人がその情報を単語検索し、見つかった情報を組合せ、それの繰り返しで多彩な情報に接し、固定観念を払拭することも可能な時代になっています!

感動を受ける台詞!

 「感謝」は伝染するようです。大都会よりは地方のほうが伝染力が高いようです。新コロナの伝染力と反対ですね。やはり、大都会はあまり周囲に気を使わなくても暮らせます。しかし、地方はある程度は気を使う必要があります。危機対応への違いなのでしょうか? 大都会で、公的な支援がない場合は、多くの人が周りからの支援を受けられず、悲惨な状況に陥るのでしょう。地方は、平静なときは面倒なこともあるのですが、危機状態になった時、助け合うことができるのでしょう。これからは、温暖化による自然災害も頻繁に起こるようになりそうなので、それぞれの地域風土を見極めた上で、暮らす場所を選ぶ必要があるのでしょうか?