「安全」というのは、危険に対して、その危険を回避する(または最小の被害で済ます)ことです。ということは、危険なとき、対応する能力(ときには反射的)を身につけておくことです。
急に、命に関わる危険が発生したとき、時間がゆっくり流れ(例えば、1秒が10秒くらい)、周囲の状況をつかみ、冷静に対応の方法を決めます。この能力は、子供時代の暮らしの中で身につくのでしょうか? まるでスローモーションのように時間が流れます。
昨今は、危険予報の情報が早めに発信され、防災用具や食料が整備されていますので、安全を手に入れやすい社会になっています。ただし、そのような環境にあっても、危険に関わる対応は、気を緩めてはいけませんね!
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南蛮貿易でもたらされた多くの武器!
武器輸出の背景をもっと意識する必要があるようです。少しでも危険が予想される国々では、最新の武器をそろえたいもの。
そこで問題になるのが、古くなってしまった武器です。その処分は、お金だけでなく、危険も伴います。そこで手っ取り早く処分するには、戦争をやっている国に輸出することです。または、戦争を起こすことです。
すると、高額な武器輸出代金か、低コストの処分費で済みます。
昔は宣教師も武器商人でした。いまでも良いことをしているふりをして、古い武器を輸出、あるいは、武器援助している商人がいることでしょう!
引き算する暮らしを!
「引き算の暮らし」がいわれています。物が少なかった時代に育ったひとは、あまり考えずに、ついついモノを買ってしまいます。そして、ほとんど使わないまま置きっぱなしになってしまいます。むかしの江戸の生活は、何か危険なことがあれば、庶民は、ちゃぶ台とふとんをかかえて、すぐに逃げたようです。家が壊れても材料さえあれば10日程あれば、なんとかなったようです。自然災害が多くなってきた今、暮らし方を考え直すときがきたようです!
「注意する」と「心配する」は別のこと!
悲惨なクルマの事故、対応策はあるのでしょうか。「注意すれば」と言われますが、これは「言葉(知識)」をベースにしたもので、実際の行動に直結しておりません。余裕があれば有効ですが「とっさの時に対応ができるか」は、疑問が残ります。とっさの時に対応でくるのは、“感覚”で習得したものでしょう。ただし、筋肉の衰えていく状況に合わせ、常に感覚の補正を行い続けなければなりません。また、クルマを変えて時も、当然、感覚を補正しなければなりません!