熱帯低気圧や台風では、雨の強さは規定していない!

 雨による災害が増えています。洪水とともに土砂崩れが起きています。洪水は平野で起きますが、土砂崩れは、大規模開発で住宅地を造った所にも起きます。
 山を削り、低いところを埋め、車を通すため、沢筋を埋めたりしています。
 一方で、雨が降らず、水不足が起きている所もあります。水道が断水すると、水を運ばなければならないのですが、断水時に停電が起きてしまうと、5・6階以上の人は大変です。おそらく他の地域に避難することになるのでしょうか!

どんな国もみな「国益」を守ろうとするもの!

 「領地(支配している土地)=国家」という考え方自体が、傲慢(思い上がって横柄なこと)を生む。
 その結果、国益を守り、増やそうとする。そして、タイミングを見計らって実行する。そうすると、英雄として、権力・財力・名誉を一手に手に入れる。死んだ後も、名誉は続く。
 地球の生物の歴史では、「弱いものが生き残る」という原則があるが、そんなものはどうでも良いと考えるのでしょう。
 ロシアの弱体化のタイミングを見ながら、資源を狙い、国益を増やそうとする国や地域も、きっと存在するのでしょうね!

日本人は水害が発生しやすいところに住でいる!

 日本は約半分の人が、洪水の氾濫区域に住んでいます。住宅の建築基準に、道路幅の制限があるため、どうしても平野での建築が増えてしまいます。その結果、氾濫危険区域に家を建てる結果になったのでしょう。
 古くからある神社(特に本殿)の多くは、地形的には安全なところに建ててあるようです。なによりも安全を優先したのでしょう。
 古くからある農家も、田んぼのところより、3mから5mほど高いところに家を建てているところがあります。多少の坂道を歩いて登るため。健康にも良いのでしょう。
 歴史的な智慧が、建築の基準に組み込まれると良いのですが!

ほめるときはすぐほめる!

 ビックモーターの事件で、叱り方が問題になっています。子供時代に叱られた経験からなのでしょうか?
 叱るという場面は、(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて,強い態度で責める、ということですが、叱ったその先を考えて叱るのが理想なのでしょう。
 自分の子供時代の経験から叱るのか、塾考して叱るのか、その人の器が出ますね。
 叱ることを考えるより、ほめることを考えた方が、気持ちは楽なのですが、難しいですね!

見返りを期待しないこと!

 豊かになったためか、周囲の人達とのつながりが薄くなってきています。また、ビジネス感覚が広く定着したためか、損得だけで物事を考える人もいます。
 しかし、人とのつながりは大事にしたいですね。それには、相手との直接の損得ではなく、社会全体での損得を考えなければならないのでしょうね。
 話しは違いますが、川の水も綺麗になりすぎて、魚や貝の生活環境に影響が出ています。人間もアレルギー持ちの人が増えています。
 ある一面だけ考えての行動は、思いがけない悪影響をおよぼしていることもあるのでしょうね!

傭兵から徴兵制で、国家財政が豊かに!

 徴兵という制度は、戦争にどのような関係があるのでしょうか?
 ナポレオンは、徴兵制を採用し、傭兵より経費を削減し、豊かになった財力を使い、周囲の国々を制圧したとのこと。
 ロシアも傭兵から徴兵に変えているのは、やはり財政的な問題なのでしょうか。
 日本も、かつて徴兵制がありました。健康診断で徴兵の採用ランクを決めていました。その中で、たとえば、身長は当初155cm以上でしたが、兵隊が不足するようになると150cm以上に変えたり、また、年齢の範囲を広げたりしていたようです。
 また、武器については、直接戦争に係わっていない国々は、古くなった武器の処分のため、戦争をしている国に、武器商人を使ったりして、金儲けをしたり、武器の処分費を浮かしたりしているようですね!

いざ悪いことが起こると自分だけが!

 悪いことが起きると。「自分が悪い」と思う人もいます。できれば感情で受けてしまうのではなく、状況を分析するというスタイルで受けることが出来れば、次の対策を前向きにとらえることもできるかも知れません。
 失敗もそうですが、状況や事実は覚えておくのですが、その時の感情は、その時、その場所に、置いてくる方が将来が開けます。
 事実のみは背負っていくのですが、感情は過去に置いていくことが出来れば、前向きな人生になるのでしょうね!

子どもに親の望む「あるべき姿」を求めると!

 子供の虐待の報道が増えています。親が子育てのやり方を学んでいないようです。これは、核家族の影響があるのでしょうか。
 祖父母や近所の人達が、子育てに多く係わることが少なくなってしまいました。そのため、子育ての歴史的な方法の引き継ぎが出来なくなってしまいました。
 むかしは、子供はもっと自由に遊んでいました。相手の顔(特に目)を傷つけるような遊びはきつく禁じていましたが、それ以外は比較的自由でした。
 子育てにも、人類の歴史的な英知があるのですから、その英知を引き継いで行きたいものです!(学校教育で、特定の方向に誘導する国もあるようですが。)

アサガオは上から見ると左巻き!

 子供時代、なんとなく他人のことを「左巻き」と言ったことがあるような気がします。
 「左巻き」には、「威勢のよい人」という意味と、「間抜けな人」という意味があるようです。
 その原点は、犬や朝顔などのツル植物の生態が影響しているようです。
 言葉中心の情報化社会になっていますが、言葉というものの原点を、もう一度学ぶ必要もありますね!

正直は最大の戦略である!

 ビックモータ-の商売のやり方が問題になっています。
 伝統のある商人の町出身者と、そうでない街の出身者との違いなのでしょうか?
 古くからの商人の町、尾道の商業高校で教わったのは、「法律というものは最低線のマナーだ。商売をやるのなら、もっと上のマナーが大事だ」と教わりました。
 やはり商売というものは、少なくとも100年以上の老舗を目指すことを目標にしないと行けないのでしょうね!

人類の知恵が自然界に対する恐怖心を無くさせた!

 地球は「温暖化」から「沸騰化」なったと、国連から発表されました。この時思い出すのが、地球の歴史は「敗者たちが新しい時代を築いてきた」でした。
 この歴史的な事実は、たとえホモサピエンスでも否定は出来ないのでしょうね。
 あとは、ホモサピエンスの時代を少しだけ長くする努力なのでしょうか?

 でもまだ、少なからずの人達が未開発の地で生活しておられます。この人達は、ホモサピエンスの進化形で生き残っていくのでしょうか?

行動をすればするほど個性的になる!

 情報があふれている現在、自分が行動して、五感で感じ、直接情報を得る。この過程で、「自分」という個性がつくられていくのでしょう。
 Netで、他人が提供する情報をもとに、自分の思考を造っていると、そのような人が多いため、似たように思考する人が多くなり、個性というものがなくなっていきます。
 個性を求めない社会になると、強健な指導者にとっては、統治しやすい社会になるのでしょうね!

日本は複雑な人種を混入させながら1つに!

 日本には7世紀ごろまで、渡来する人達を受け入れており、その人達と協力し「日本人」というものをつくってきました。
 「日本は単一民族国家である」は、政治的に同化政策が必要なときに、発信されたようです。
 「曖昧な風土」が許容される日本、7世紀頃までは渡来人が多くいたようです。その人達を含め、協力して、日本文化を、そして、日本人を育ててきました。
 移民しても、自国だけの文化しか許容しない民族もいれば、移民先に馴染もうとする民族もいます。
 食糧事情が許されるのであれば、外国の人達を多く受け入れることも必要ですね!

花火は夏のビッグ・イベント!

 都市部の祭は夏ですね。農作地帯は秋の終わり頃のようです。でも、最近の御祭は、お客さんの中には、自己管理があまりできなくて、安全対策に多くの費用がかかるようです。
 将来も御祭を継続して行くには、どこかで、事故の責任の多くは、お客が責任を持つことにしないと、御祭を続けていけないのでしょうね。
 庶民の文化は、継続していかないと、ロシアのような風土になりかねないですからね!

人生の本当の姿にふれる!

 経営コンサルタントのように、「建て前」中心でやっていると、普及し始めた「生成AI」に仕事を奪われてしまいます。また、歳をとって仕事を辞めたとき、自分の考え方が狭くなっており、その後の人生も狭くなってしまいます。
 これからは、いかに感性を磨き、それを生かしていくかが、問われてきます。自然に学び、歴史に(主流ではない歴史も)学び、ホンネで付き合える人を見つけ、多様な生き方を見つけることが重要になるのでしょうか!

感じる人工知能のほうが!

 生成AIが広まろうとしています。その原点は、情報をカード化するところから始まり、コンピュータで、SQLなどのデータベースソフトが定着し、大量のデータを蓄積できるようになり、それに、編集ソフトが開発され、それらをもとに、AIが作業を行うようになりました。
 しかしまだ、人間の感性は、それぞれの人に合うようには、まだAI化はされていないようです。
 ただ、人々の自然との接触が少なくなり、学校や社会が、文字や画像などの情報への接触が中心になった今、人々の感性も、AI化されないとは、言い切れないのでしょうね!

生きることに心を注ぐ!

 異常な高温が続いています。でも、異常とは言えないような、通常になってしまうのでしょうか。18世紀の半ばに始まった産業革命。250年もエネルギーを使っていると、もう元には戻れないのでしょうね。あとは、温暖化の進行を遅らせるだけですね。
 その一端として、里山暮らしの促進も1つの方法。
 都心と、そうでないところで、同じ品物でも、都心の方が高くなる商品が出てきました。そのような方法が常態化すると、田舎暮らしの人も増えるかもしれないですね!

育つ環境・教養の度合いによる差!

 孤立した人が増えているのでしょうか?
 多様性が受け入れられない社会になっています。
 現在は、1つの正解を求める社会になっています。そのためか、生成AIというものも出来てきました。論理的な思考をする過程で、答えを一つにしようと、情報を整理していきます。その方向から外れた情報は、除外されていきます。
 それは、人に対しても、同じように行われているようです。
 しかし、答えはいくつもあって良いのです。特に日本では「好い加減」が通用していたのですから。
 専門家は、生成AIに置き換わっていくのでしょう。いまから「好い加減」に多様な答えを許容していかないと、答えは1つ、としてきた専門家は、苦しい社会になっていくのかも知れませんね!

熱中症には3通りがあります!

 昨今は、秋に行われていた運動会が、春の終わり頃になりました。しかし、温暖化のため初夏、あるいは、夏といった状態で行うことになってしまいました。
 そのため、熱中症の生徒さんが出るようになりました。
 運動会が、秋から春になったのは、受験ということが関係していると思うのですが、命と受験とどちらが大切なのか? 生徒さんが選択できないのでかわいそうです。
 温暖化とともに、エアコン利用環境のため、生物的に見ると、先進国の人は、環境の変化への対応能力が弱っていること、もっと考える必要があるのかも知れないですね!

なんでもほめる、なんでもほめる!

 ネット社会になると、人に会っても「ほめる」ことが難しくなるのでしょうね。多くの人に合わないと、人それぞれの良いところを見つけにくくなります。
 まして、子供時代から、近所の大人達と話しもしないで育ってくると、様々な人を見分けることも苦手になるのでしょうね!