ここは林芙美子の母校である。林芙美子の文学碑と対照的祥碑のすぐ後方に風雅な頼山陽遺墨の「往来安全」灯籠がひっそりたっている。
この灯籠は頼山陽と交りが深かった籔内流茶道の宗匠内海自得斉が山陽来遊のさい揮毫を依頼して天保年中(1830-)当時山陽道の脇道として往来の激しかった東高下の防地川に建てたもの。
1973年頃ここに移した、おそらく日本最古の交通安全標識なのでしょう。
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ここは林芙美子の母校である。林芙美子の文学碑と対照的祥碑のすぐ後方に風雅な頼山陽遺墨の「往来安全」灯籠がひっそりたっている。
この灯籠は頼山陽と交りが深かった籔内流茶道の宗匠内海自得斉が山陽来遊のさい揮毫を依頼して天保年中(1830-)当時山陽道の脇道として往来の激しかった東高下の防地川に建てたもの。
1973年頃ここに移した、おそらく日本最古の交通安全標識なのでしょう。