尾道 もとは浄土寺境内にあった「住吉神社」

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 1740年、尾道の町奉行に着任し広島藩の平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。
 尾道や瀬戸田は、中世から瀬戸内海交易の中継地として発展し、江戸時代においても有数の港町でした。さらに1672年に河村瑞賢により西廻り航路が開発され、北前船が寄港するようになると、さらなる飛躍をとげています。そうなると、港湾設備の拡大が要求されるようになり、元禄年間から継続的に港の埋立が行われました。