鎌倉 白い猿が日蓮を救った草庵跡に「長勝寺」

 この地は、日蓮にかかわりのある本圀寺(ほんこくじ)の旧地といわれています。この地の領主石井長勝(ながかつ)が日蓮に帰依(きえ)し、日蓮が伊豆に流され、そこから許されて鎌倉に戻ったとき、自分の邸内に小庵(しょうあん)を建て日蓮に寄進したのが、本圀寺のはじまりといわれています。本圀寺が室町時代の初期に京都に移って、この地が廃寺(はいじ)になったのを日静(にっせい)が復興し、山号と寺号をもとの開基である石井長勝の名にちなんで、石井山(せきせいざん)長勝寺(ちょうしょうじ)と名付けられたと伝えています。

鎌倉 焼き討ち時、日蓮救った白い猿「長勝寺」

【日蓮と白猿の話】
 1260年(文応元年) 8月のある日、日蓮は草庵で静かに読経をしていました。夜もふけたころ、机に寄りかかってとろとろ眠っていると、白い猿が3匹現われ、上人の衣にすがり、袖を引いて表の方へ引き出そうとします。上人は引かれるままに表へ出ると、ふもとの庵の方で割れるような大声とともに、たい松の火が20や30くらいちらついて見えました。何事かと思う間もなく、草庵に火をつけたらしく、火の手はたちまち燃え上がり、人々の叫び声が手にとるように聞えてきました。洞窟の前に立ってこのありさまを見ていた日蓮は、猿の手をとって洞窟の奥深く入りました。