鎌倉 明治時代に小学校が建てられた「啓運寺」

180731a_keiunji.jpg

 1876年(明治9年)頃、ここに桑楊学校という小学校が建てられ、乱橋・材木座・大町の三ケ村の子ども達が通いました。その後1882年に、光明寺の千手院境内に移り、乱橋・材木座の子ども達だけが通い、大町村の子ども達は、別願等に建てられた大町学校に通いました。
 また、明治の中ごろ、洋画家として有名な黒田清輝が、この寺の本堂をアトリエに使い、「日蓮の辻説法」の名画を描いたということです。