モンゴル襲来の後に、その撃退を祈願して、北条貞時か心慧智海(しんえちかい)を開山として建てたものです。開山塔や大燈塔(だいとうろう)は国重文で、裏山には、鎌倉特有の死者を弔う形として発展した「やぐら」が多数あり、「百八やぐら群」と呼ばれています。
1218年(建保6年)に北条義時(よしとき)はこの地に大倉薬師堂を建立しました。北条氏の信仰を集めたこの薬師堂をもとに、1296年(永仁4年)北条貞時(さだとき)が、再び元寇が起こらぬことを祈って心慧(しんえ)を開山として改めて建立したのが覚園寺です。