瀬戸内の要港にある古刹であり、同寺へは高憎や将軍の足利尊氏・義昭、朝鮮通信使等の多彩な歴史の足跡が刻まれる。
特に、本堂に掲げられた琉球使節の扁額、境内の「琉球司楽向生碑」は、よく知られるところである。
また、境内には昭和二十九年(1954)まで、国の天然記念物の見事な巨大・松があり、名所となっていた。オランダ人医師シーボルトもその松之図(版画)を収集している。なお、この松は寺伝によると、平清盛の長男の平重盛(武勇に優れて清盛の後継者として地位を確立したが、清盛より早く、42歳で死去した)が植えたと伝える。