鎌倉 もとは光明寺の境内にあった寺「教恩寺」

 開山は知阿(ちあ)です。小田原北条氏3代目の北条氏康(うじやす)が光明寺境内に建てたのが始まりといわれています。
 このあたりはもと米町(こめまち)と呼ばれていて、ここには以前、光明寺の末寺の善昌寺(ぜんしょうじ)がありましたが、いつの頃か廃寺になり、1678年(延宝6年)、貴誉(きよ)が光明寺境内から教恩寺を現在の大町に移したといわれています。
 1937年(昭和12年)ごろ、境内から古銭がいっぱい入った古い壷が出土しました。銭は中国の宋や明の時代の銅銭で、鎌倉時代や室町時代にこれらの銅銭が使われたことがわかる貴重な資料といえます。