座間 伊勢鈴鹿郷の神輿が流れ着いた「鈴鹿明神社」

“ 欽明天皇(539年即位)の御代に創祀せられたという。

  伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。

 みこしがこの地に着いたとき、梨の木坂に住む龍神(座間にもともといた神)はみこしの中の宝物を欲しがり、七日七晩暴れました。これに対して流れついた鈴鹿の神は宝物を与えてしずめ、ここに落ち着くことにしました。
 そのころ勝坂(相模原市にある)に「あるか」という蛇の神がいました。あるかは鈴鹿の宝物をねらって戦いをいどんできましたが、これに地元の神も加わり、3つの神とも大蛇となってみつどもえの激しい戦いがくりひろげられました。結局「あるか」の神は負けて南へ逃れ、海老名の鎮守になりました。”