福山 鞆 つわ者どものときの声「小烏神社」

小烏の森つわ者どものときの声
 小烏神社は南北朝時代の古戦場としても知られています。
 1349(庄平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、ちょうどその頃、高師直(こうのもろなお)と直義が対立。のち、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と兵馬を交えることになります(小烏の合戦)。
 その骨肉相食む合戦の結果、鞆の浦の刀剣鍛冶が発達したのです。