厚木 古くは牛頭天王社といった「厚木神社」

 現厚木神社(厚木市厚木町)は、古くは牛頭(ごず)天王社といい、同神社の由緒書(ゆいしょ)には、今から八百年程前の円融天皇の時、天延年中藤原伊尹公により、厚木村字天王免に同社が勧請されたと言います。
 承徳年中この地が、水害に合い現在の地に移されました。江戸時代に、毎年6月5日から12日まで大祭を行い、神輿(みこし)を相模川に入れ、水中渡御(とぎょ)の行事をおこなっていました。
 正徳年中に、祭礼中誤って御神体を水中に落してしまいましたが、翌年、厚木村下町の告原伊兵衛の夢により神体のある所が分かり、祭礼前の5月相模川から探した神体を同家の庭に祭り6月の大祭に移し、盛大に祭が行われたといいます。

厚木 水害に合い現在の地に移された「厚木神社」

 現厚木神社(厚木市厚木町)は、古くは牛頭(ごず)天王社といい、同神社の由緒書(ゆいしょ)には、今から八百年程前の円融天皇の時、天延年中藤原伊尹公により、厚木村字天王免に同社が勧請されたと言います。
 この場所はかっての厚木町役場があった所でしたが、さらにそれ以前は旧幕時代の烏山藩の陣屋が建っていました。
 震災の被害は厚木町と相川村が最も大きかったのです。
 震災の1年後の大正13年9月に建てられた碑の正面には「あゝ九月一日」と彫られています。