1200年 源頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師(緑茶を伝えた人物—茶そのものは奈良時代に伝わっていた。)を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺。
源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
臨済宗建長寺派に属し、正式には亀谷山寿福金剛禅寺と称するこの寺院が建つ扇(おうぎ)ガ谷(やつ)ー带は、源頼朝の父である源義朝の屋敷跡だと伝えられており、はじめて鎌倉入りした頼朝が幕府の中心を置こうとしたのも、この地であった。
しかし、この場所が屋敷を建てる用地としては狭すぎることや、すでに亡き父の御堂があったことなどから、頼朝はそのことを断念したと伝えられています。