昔から「早寝早起きは三文の得(徳)」(朝早く起きると健康に良く、仕事や勉強が捗るため、わずかでも得をするという意味のことわざ)があろます。
免疫力を右する大切なものが「睡眠が重要」と言われています。これは睡眠が自律神経の働きに関係しており、その機能を適正に働かせるには、適正な睡眠が重要なのでしょう。
夜の九時には就寝して、日の出とともに起きる方法も好いのでしょうね!
鎌倉 関東大震災で倒潰、40年後再建「円覚寺 仏殿」
すべての商品が「売れる」ということはありえない!
厚木 明治の先進民家「古民家 岸邸」
厚木市古民家岸邸として開館されています。古民家岸邸は、郷土に残された貴重な文化遺産として、皆さんに公開しながら長く保存をしていきます、と。
古民家は、当時の生活を色濃く伝えるものです。生活のスタイルが大きく変化してきた現代では、ますます注目されてきています。随所で見られる、職人が手をかけて作った凝った意匠も一遍ではなく、建築当時の時代の先端的な様式を併せ持ち、家を作った職人の技と、家を守ってきた人々の営みを感じてみてはいかかでしょうか。
明治時代になってこのあたりで養蚕業を始められた岸家。絹の輸出で立派な建物を建てることが出来ました。このあたりは桑の木がたくさんあったそうです。今ではまったくありませんが。
男は「できる男」と思われたいもの!
尾道 本通り商店街入口「林芙美子像」
「ソメイヨシノ」最初は「吉野桜」で売り出した!
武家の土地所有権は、なし崩し的に認められただけ!
武家の土地所有権は、なし崩し的に認められただけ!
鎌倉 平政子(北条政子)の墓がある「寿福寺」
1200年 源頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師(緑茶を伝えた人物—茶そのものは奈良時代に伝わっていた。)を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺。
源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
明治維新で神仏分離で鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)の仁王門にに祀られていた仁王様が移築されています。
開山(初代住職)の栄西は、二度の入唐(28歳と47歳)をへて、日本に臨済宗を伝えましたが、比叡山延暦寺の官層(公務員の僧)たちの反感をかい、活躍の場を鎌倉に求め、寿福寺建立の許可を得ました。その後、鎌倉幕府の後援を受けて建仁寺(京都市)を建立しました。当時は、鎌倉で勢力を得て、京都へUターンする事例も多かったのです。
種子は保存ができる、それが争いのはじまり!
尾道 海雲塔とも呼ばれる「天寧寺 三重塔」
「五重塔から三重塔へ」という珍しい塔
ここには珍しい三重塔があります。当初は五重塔だったのですが、その後、四重と五重の傷みが激しくなったため、四重と五重を取り除いて、三重の上に新たに屋根をかけ、三重塔に姿を変えているのです。重要文化財に指定されています。建立は1388年(嘉慶2年)。三重塔に姿を変えたのは、それから300年後の1692年(元禄5年)のことでした。
本当に最初は五重塔だったのだろうかと疑う人もいるかもしれませんが、まず、五重塔の姿で描かれた古い時代の掛け軸が残っている。それに加えて、この三重塔は心柱が下まで通っている。五重塔では心柱を下まで通しますが、三重塔では初重の上から心柱を立てるのが普通です。梁の上に心柱を立てるのです。
天寧寺の三重塔は、五重塔であるにもかかわらず、心柱が下まで通っているわけで、こういうところからも、以前は五重塔であったことがわかります。また、その他にも、五重塔だったことを示す痕跡があちこちに残っています。外観もそうです。三重塔にしては各層の間が詰まっているように見えます。
(「宮大工と歩く千年の古寺」(松浦昭次著)より)



















