心地よくフィットする基準を持つ!

 人生とお金の関係をどのように捉えるか。ほとんど考えなかった問題なのですが、NHKの「ひきこもり人」の特集を見ている内に、その一つの原因に、日本社会が年功序列から、お金中心の能力主義に移行したことが関係しているのではないか、と思うようになりました。飢餓の問題を別にすると、お金による豊かさは、幸福度とはあまり関係がないような気がしています。お金から離れてみると、好奇心さえあれば、それほどのお金を使わずとも、人とのつながりや、充実感を味わえることはたくさんあります。それが見つかれば充実した人生も遅れるようです。もちろん、毎日食事ができるという前提があってのことですが!

能力主義には限界がある!

 いまは能力主義の社会になっています。この能力というのは「お金」に関わる能力のことで、それ以外の能力は、それほど社会では認められません。戦国時代の能力は「いくさに関する能力」が評価されていました。そうした能力主義の時代は、自分が生きている時代中心のことしか考えません。子孫代々の繁栄は二の次です。そのためか、織田信長や豊臣秀吉は、実質一代のみです。そうゆう社会の弱さに気がつき、多方面の能力を社会に生かす時代ができたのが江戸時代です。社会に幸せをもたらすことは、お金による豊かさだけではないのでしょう。もっと多彩な能力が必要なのでしょう!

ヒトは大人になっても子供の形質を持つ!

 「日本人(アジア人も)は、大人になっても子供の形質をたくさんもっている」とのこと、この形質は、新コロナウイルスの感染にも影響しているのでしょうか。人類が各地域での生き残り対策が、DNAに組み込まれ、その結果が住んでいる地域の環境に適応できた人達が、現在まで生き残ることが出来たのでしょう。だから、現在に生きている我々も、確実な感染対策ができる素質を発揮できる人が、生き残っていくのでしょうか。日本人は、法律で規制しなくても対応できる人が多い、関西や西日本の古くからの商人の町では、半世紀ほど前までは「法律は最低のマナーだ」といわれていました。だから、法律で規制しなくてもルールを守る人が多いのでしょう。これはやはり歴史の産物で、DNAにもある程度組み込まれているのでしょうか!

自分での価値は手に入れた過程で決まる!

 「断捨離」という片付けの技術が、もてはやされる時代になっています。豊かな時代の証なのでしょうか。すぐに捨てられる背景に、設計者が専門家し過ぎて、修理可能な製品設計の技術が失われたことも一因なのでしょう。修理が出来る設計をするには、幅広い知識が必要です。現在の専門家は、知識の範囲が狭く、ついついその知識の範囲で設計してしまいます。また、製品を買う側にも、スペシャルな製品を買う傾向があります。修理せず、多くのモノが捨てられることは、温暖化の原因にもなるのでしょう!

現場で育った技術者!

 この温暖化の時代、「モノづくり」の基本に、まだ大量生産・大量消費の発想から抜け出せていません。使い捨ての設計思想が続いています。日本の温暖化防止の取組不足に対するにデモで、路上に靴が並べられていましたが、どの靴も樹脂を使っているようで、修理がきかない使い捨てのモノです。これを処分するときに炭酸ガスが発生するでしょう。温暖化の防止に取り組む人達も、使い捨ての生活態度は変わらないのでしょうか!

昭和三十年代の暮らしに少しの工夫をプラス!

 昭和30年代に「三種の神器」といわれたのが、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目です。今はテレビに変わりパソコンかも知れません。この辺りが「ほどよい電化」なのかも知れません。ただ、現在の電化製品が失ったものが、”安く簡単に修理が出来なくなったこと”です。1960年代後半から始まった「大量生産・大量消費」は、人々の生活を変えただけでなく、浪費への罪悪感も取り払ってしまいました。そんな時代が半世紀つづいた結果、自然災害の多発が始まりました。温暖化が原因といわれだし、資源の浪費をなんとか抑えられないか、言われ出しました。人間は、いったん浪費癖を身につけると、「人間の命の流れ」すら、維持する力を失ってしまうのでしょうか?

「直せば使える」モノは実に多い、だが高い!

 プラスチックごみ削減が問題になっています。しかし「ものづくり」は、使い捨ての発想で設計されています。「修理のしやすさ」が設計に折り込まれていません。昭和30年代から40年代初頭までの、修理を前提にした設計がされていません。修理ができないため、災害時などのニュースでは、大量のゴミが発生します。「我が社の製品は、修理が出来ますよ!」というメーカーもほとんど見かけません。修理が出来るものづくりの最後の世代は、かろうじて団塊の世代までです。いまのうちに、昭和30年代のものづくりのノウハウを引き継ぐことが出来ると、ゴミ削減につながるのですが!

感動を受ける台詞!

 「感謝」は伝染するようです。大都会よりは地方のほうが伝染力が高いようです。新コロナの伝染力と反対ですね。やはり、大都会はあまり周囲に気を使わなくても暮らせます。しかし、地方はある程度は気を使う必要があります。危機対応への違いなのでしょうか? 大都会で、公的な支援がない場合は、多くの人が周りからの支援を受けられず、悲惨な状況に陥るのでしょう。地方は、平静なときは面倒なこともあるのですが、危機状態になった時、助け合うことができるのでしょう。これからは、温暖化による自然災害も頻繁に起こるようになりそうなので、それぞれの地域風土を見極めた上で、暮らす場所を選ぶ必要があるのでしょうか?

安心感は滅亡の最大原因!

 戦後75年、戦前からの100年間は、歴史上かつてないほどの激動の時代のようです。戦前の時代、戦争中、戦後の貧しい時代、そして高度成長、オイルショック、バブル時代、バブルがはじけた時代、新コロナで激変が起こりそうな時代、そして、温暖化で地球環境が変化し災害の時代が来るのでしょうか。その変化に対応してきた日本。これからの変化にも何とか対応していくしかないですね!

どんなものに対しても「礼を尽くす」こと!

 何に対しても、どんなことに対しても、「礼を尽くす」が社会で生きていく基本なのでしょう。と同時に、日本での「礼を尽くす」というルールは、疫病対策にも有効だと考えた人々が、苦労して定着させてきたのでしょう。このルールを守ることができる人達が、日本では子孫を繁栄させ、より社会に定着してきたのでしょうか? 災害や疫病を数多く体験してきた人達は、生き残りの確率アップのため「礼を尽くす」というしくみを、社会に定着させようとしたのでしょう!

20世紀はお金を中心に動いた物質文明の時代でした!

 明治以降「幸福」を求めてきました。「幸」は枠にはめる、枠から逃れるという深層イメージがあり、はめられた枠から逃れようと望む、まぐれ的な幸運を求めるという意味があるそうです。ここから転じて、かなわぬ願いを得たことによるしあわせとなります。また「福」は、丸くふくれる、いっぱい満ちるというイメージから、さいわいの意味があります。「福」は現代で言えば「お金」ということになります。明治以降は「お金持ち=幸福」になっているようです。しかし、新コロナウイルスの影響で、以前よりは「幸せ」に目が行くようになったのかな? と少し感じられます!

正直者が損をする世の中と考えていませんか?

 社会の中では、実態はともかく「正直者がバカを見る」と思われているようです。しかし、気がつかないようですが、全体的には正直者は信用を得られ、よい人生を送ることができているのでしょう。ウソをついたり・正直であったり、都合よく生きている人達が、たまたま正直のなときに被害に合うと、「正直者がバカを見る」と思ってしまうのでしょう!

取り調べは夕食後に!

 「取り調べの技術」の使い方は難しいことなのでしょう。検察官の定年延長でもめていますが、冤罪に対する改善は何ら議論されていないようです。取り調べには、最新の知見が試されているのでしょう。歴史に残る冤罪事件の有名なものは、天満宮に祀られた「菅原道真」。当時も現在と同じように、冤罪をはらすことは大変難しかったのでしょう。その結果、道真が死んだ後に、怨霊となって都に戻り、雷を落とし、天災をもたらしたのでしょう。道真の怨霊が鎮まると、一転して「除難招福」の神さまと慕われるようになり、天神様に祀られることになったのですが。現在も冤罪を晴らすことができない人もある程度おられるのでしょう。裁判官、検察官、警官達の反省と改善は見えてきません。やはり冤罪を受けた場合は「祟り」しか方法がないのでしょうか!

日本は一億総利己主義を確立?

 日本では、ここ150~160年ほどの間に、大変革が起こりました。また、この80年ほどの変化は、人類の歴史上初めて変化が起きてしまいました。ただ、この変化には人々がついて行けるスピードでの変化でした。ただし、社会は、変化について行くのが精一杯で、社会を整えることは出来ていません。そのツケが、今回の新コロナウイルスの流行で、やっと気がつく機会が生まれたようです!

遊牧民の社会ではリーダーシップが重要!

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 自然環境が厳しい場合、強力なリーダーが必要なようです。現代は、自然環境ではなく、経済環境に変わっているようです。強力なリーダーが必要な社会になったときは、選挙でリーダーを選ぶと危険な場合があるようです。歴史的な代表はヒットラーですね。遊牧民の社会は強力なリーダーを求める傾向が強いため、極端に走る傾向があるようです!

これからの東京は!

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 まだ東京集中が続いているのでしょうか? しかし、東京から地方へ移るひとも目につくようになりました。昨年のNHKの首都直下地震を想定した危険の具体映像、これから普及するテレワーク、そして、国のいろいろな施設の地方への移転、これらがもっと具体化して来るでしょう。事実すでに、ドイツの保険会社は、東京が世界一の災害の危険な都市として位置づけられています!

黙っている方がまだ親切だ、と!

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 ハンディカップを持っている人を、欧米ではチャレンジャーと呼ぶそうです。日本では、昔ほどではないのでしょうが、いじめや差別の対象になることが残っているようです。この間、テレビで障害者学校で、目の見えない学生の授業を放送していました。いろいろな葉っぱを細かくいろいろと手で触り、ニオイを嗅ぎ、それぞれの葉っぱの特性を探っていました。目が見える人達より、一つ欠けた五感をフルに活用していました。目に依存しすぎ、他の感覚が鈍っている健常者より、感性は豊かなのでしょう!

金持ち脳は、より良い場所に移住する!

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 どの時代であれ、税金を逃れるため、軽減するため、人々はあらゆる工夫をしていた。奈良時代は、各個人に対して一律に課する租税もあったため、税金がかからない僧侶になる人が多かった。戦国時代でも太閤検地で田畑への課税が強化され、課税軽減のため関ヶ原の戦いが起き、明治維新でも、西国の藩が行っていた闇貿易による収入が、開国で、その収入が徳川家に集中おそれがあったため、戦いを起こしています。現代でも金持ちは、税金の安い国をさがし、節税対策を行っています!

同情するものは強者だ!

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 他人を支援するとき、昔は「同情」が基本になっていたのではないでしょうか。財力があるひとなどが、才能があるが貧乏な人を支援する、といった場面が多かったのではないでしょうか。別宅に泊まれらせ絵を描いてもらう、学費を支援する、楽しませてくれた芸人の引退後の生活を支える、といった立場が上の人が、下の人を援助することが基本だったのでしょう。ボランティアが始まった以降は、同じような立場の人が、被災した人達を支援する、といった傾向に変わっているのでしょう!

カードは支出の流れが見えにくい!

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 消費税upしましたが、カード支払でポイント還元が始まりました。カードでの支払は、欲しいと思うと、つい買ってしまいますね。消費税upでの消費減少を防ぐため、政府も工夫しましたね。カードはその便利さを知ると、ついつい使ってしまいます。個々人の経済感覚を磨いていくしかないですね!