鎌倉時代の初期、源平合戦の中の屋島の戦で、平家方の舟に立った扇を射落して一躍有名になった那須余一宗高は、その戦功により、下野国那須の総領を幕府から与えられました。戦の数ヵ月後、鎌倉に引上げた幕府の御家人の中に余一もいました、この御家人が大磯の遊女屋に遊んだころ、余一は眼病にかかっていました。 愛甲郡厚木の里の天王森境内に祭られてあった薬師如来が、眼病に効くことを聞いた余一は大磯から馬を飛ばして薬師様の堂宇に参詣し、祈願すること数日、その祈願満願の日、眼病は完全に治りました。このため余一は、眼病平癒のお礼に当時の厚木村の中に真言の寺、摂光山智音寺を建立したと言われます。 |