雪崩、角度が35~45度の崖が最も危険!

 屋根の傾斜は30度を超える物は少ないため、雪の重さが家にかかってきます。
 雪が積もるの地域の家は、そうでない地域に較べ頑丈に出来ていますが、大雪では弓降ろしがたいへんです。
 地下水があるところでは、それを屋根に流している家もあるのでしょうか?

尾道 こんなところが「日比崎 石仏群 竜王山」

 この竜王山は広島県尾道市日比崎町にある山で標高144.6mです。(尾道市には「竜王山」という名前の山が5つもあります。)
 そこに、天狗や蔵王権現・不動明王など修験道や密教に関わるの石仏が林立しています。この地も「さびしんぼう」のロケ地となっています。
 竜王山は、四国の石鎚山を信仰する人々の修験道場でした。竜王山の霊場の石垣の上には石造りの石鎚社があり、その周りには石鎚権現や修験道に関わる石仏などが数十体、林立しています。石鎚山は役行者が開いた神仏習合の修験の道場で、石鎚権現として全国で信仰を集めていました。

自然の秩序や社会と不調和を起こしている人!

 日本は、一神教の国(キリスト教やイスラム教}の社会と違って、「日本社会」というものが、社会の調和を保っているようです。
 しかし、日本の社会や風土が、社会の調和を保つ力が弱くなってきたようです。
 情報社会や外国語教育の普及で、いろいろな外国の社会に触れることが出来、むかしのような日本の社会規範が弱くなってきたようです。
 良い方向に進むのか、悪い方向に向かうのか、どちらなのでしょうか?

座間 行基が金光星の如く輝くのを見た「星谷寺」

 星の谷観音堂が坂東八番の札所になったの源頼朝在世中のことと思われます。
 この頃は今でも本堂山と呼ばれている400mほど北東の丘の中腹にあったと伝えられていますが、いつの時代か、相模野の野火が延焼して焼失、現在の地へ移ったといわれています。
 戦国時代には北條氏の保護を受け、小田原から府中へ人至る街道上の宿泊所としても利用されましたが、徳川氏はあまり重要視せず、朱印地(非課税の領地)も三石しか与えませんでしたが、正保国図(元年・1644年)などには北相模で唯一(随一)の社寺として観音堂が書かれており、民衆の間には相当重視されていたものと思われます。
 江戸時代に入り、天下が太平になると、民衆の間にも百ヵ所観音、あるいは、坂東三十三ヶ所参りが流行しました。市内で最古の百ヵ所参りの記念物は、星の谷観音堂にある貞四年(1687年)の額です。

(「座間むかしむかし 第二十六集」 座間市教育委員会 2004/3/30 発行 より)

反抗期は、二度で輪なく、三度あるのでは!

 大人になってから、第3の反抗期がある、とのこと。
 確かに大人になって社会に出てから、社会に溶け込めない人が増えているようです。
 それも最近のかってはないような異常な犯罪の、原因になったいるのでしょうか?
 もっと社会に出てからの反抗期に目を向け、解決策を見つけていく必要があるようです!

悩む・苦むのは、人間としては必然なのではないか?

 精神疾患は、専門家でも病気かどうか見分けるのが大変なようです。
 子どもが悩んでいることは分かったとしても、それが病気なのかどうか、分からないですね。
 最近のNET社会になると、子どもが悩んでいることですら、なかなか分からなくなってきていますね!