駿州(静岡県)久能山に仮埋葬された徳川家康の遺骸は、家康の遺言により一年後、野州(栃木県)日光に移送されることとなった。
遺骸移送につきそう行列は千人近くに達し、荘厳の中にも悲しみを秘めて、1617年3月18日に出発した。途中、小休止する場所、宿泊する場所は、家康ゆかりの地が選定されていた。
家康の遺骸移送の行列は、座間宿に入り宗仲寺で小休止をした。座間宿に到着した一行は、遺骸を寺の境内に建てられた御殿に安置して、地頭内藤若狭守等の心づくしの接待を受け、昼も近かったので弁当の馳走にあずかり緊張感しばし解きほぐしたことであろう。
その間座間宿村では、町田の木曽村までの役夫として人足三人、馬一頭を整え、一行の出発を見送ったと「宗仲寺史」に記されている。