後醍醐天皇の第三王子でありながら出家した大覚大僧正が正平年中(1346~)全国を旅し布教の途次、鞆から本郷に出て尾道入りし、番所からこの谷を下られ、同所で説法され滞在されたとか。
このあと長江一丁目妙宣寺の建立を発願され、同寺は1354年に完成している。
本堂の後ろには加藤清正を祀る清正公堂があり、熊本の本妙寺のと同作の清正等身大の肖像が安置されている。
豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した際には、尾道は拠点港になり、大勢の兵士や物資が集積しました。
その縁で秀吉の重臣、加藤清正の等身大の木像が妙宣寺に祀られています。