厚木 かって養蚕は生活を支えた「蚕影神社」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 かつて市内には 1,500 軒を超える養蚕農家があったそうです。 かっては養蚕はこの地域の生活を支えてきたのでしょう。
 現在はたったの数軒、隆盛を極めたかつての面影はないですね。
 1182年、飯山の金剛寺が起こした訴訟文書に「蚕養」の記事(『吾妻鏡』に載る)があるそうです。その内容は「金剛寺の僧侶等の申し出は、古庄の郷司近藤太が不当な行為をし、由緒のある山寺に雑務を課したり、山狩りや養蚕に使うこと等、みっともないことです。速やかに止める様に」といった内容で、頼朝様が花押を書いて認め、速やかに止める様に命令が出た、とのことです。