八菅山一帯は古くから、神仏混淆の信仰の聖地でした。日本武尊、役小角、行基などの来山が伝わっています。また、源頼朝や足利尊氏・持氏による堂社建築や整備が行われたといわれています。永正年間(1504~1521)の兵火による荒廃後、天文10年(1541)に遠山甲斐守綱景が社殿を再建。
貞享4年(1687)京都聖護院の直末寺となり、本山派修験の一拠点となりました。回峰修業は春と秋に、八菅山と大山の間の峰々で行われていました。山内には七社権現と別当光勝寺の伽藍の他、五十余の院・坊がありましたが、明治時代の神仏分離令により光勝寺は廃され、七村権現は八菅神社と改称、今日に至っています。