古義真言宗京都泉涌寺派。もとは真言・律・禅・浄土の四宗兼学であったが、明治初年に兼学が禁止されて本山泉涌寺が古義真言宗を標榜したのに伴って古義真言宗となった。開山は智海心慧、開基北条貞時。鷲峰山真言院覚園寺と号す。
この寺の前身は建保六年(1218)に北条義時が建てた大倉薬師堂だという。それ年寺に改め覚園寺としたのは永仁四年(1296)のことである。元冦の難を逃がれることを祈ってのことであうった。鎌倉時代を通じて北条氏の滅亡後建武中興に際しては後醍醐天皇の勅願所となった。建武の中興後は足利氏の祈願所ともなり、代々の為政者に保護されている。