社会全体が息苦しくなるのは!

 釈迦、孔子や老子は多くの人に対し、いろいろな立派な教えを説いています。
 そのような立派な人を生み出す国は、無意識に立派な国と思っていました。
 しかし、よく考えてみると、立派な言葉には到底該当しない国だがらこそ、立派な言葉が生まれるのですね。あるいは、立派な国にしようと努力しても、それが定着しない風土だから、立派な言葉が生まれるのでしょうね!