鎌倉 頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺「満福寺」

 開山は行基(668~749)と伝えられ、本尊は薬師如来です。源義経(1159~1189)が腰越状を書いた所として有名です。境内には弁慶が墨をするのに水を汲んだといわれる硯池、腰掛石があります。(案内板より)
 元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。

鎌倉 義経が頼朝に心情を訴える書状を書いた「満福寺」

 開山は行基(668~749)と伝えられ、本尊は薬師如来です。源義経(1159~1189)が腰越状を書いた所として有名です。境内には弁慶が墨をするのに水を汲んだといわれる硯池、腰掛石があります。(案内板より)
 鎌倉時代の『玉葉(ぎょくよう)和歌集』に行基の歌だという「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」は、その生命観を詠んだ和歌として広く知られています。
 山の森の奥から声が聞こえてくる鳥は、亡き父だろうか、母だろうか、と感じられるのである、と。

鎌倉2021年2月12日麻、火事「満福寺」

 この寺の開山は行基といわれています。寺の伝えによれば、奈良時代に関東地方に悪い病気が流行してたくさんの死者が出ました。聖武天皇はこれを心配し、行基に「これから関東に下って悪い病気を除くように。」と命じました。はるばる鎌倉に来た行基は、前に広がった青い海原と後ろの山並みがとても美しく見えたので、
 「ここでお祈りをしたら、きっと流行病もなくなるに違いない。」
と思いました。また、漁師が海難事故にあうことが多いと聞いたので、さっそく薬師如来、日光・月光菩薩の三尊を彫って祈りをささげると、不思議なことにあれほどはやっていた病気もぴたりと治まり、海難事故もなくなりました。