鎌倉 日蓮の弟子の四条金吾頼基の屋敷に「収玄寺」

 むかし、日蓮の弟子の四条金吾頼基(よりもと)の屋敷があったところです。1271年(文永8年) 9月、日蓮のいた庵に北条時宗の使者が大勢きて、日蓮を由比ケ浜に引きたてていきました。このことを知らせる使いが頼基の所に走り込んでくると、頼基兄弟はすぐさまはだしで由比ケ浜にかけつけました。
 「日蓮上人を殺すならば、自分を身代わりに段してください。」
と申し出たのですが、そのため役人ににらまれてしばらく土牢(つちろう)に入れられたり、主人の江馬光時(えまみつとき)から領地を没収(ぼっしゅう)されたりしましたが、信仰をまげなかったということです。