小野小町(生没年不詳)は、「絶世の美女」という最高級の形容詞でいまに語り継がれています。
平安時代の女流歌人で、六歌仙(ろっかせん)の一人という文化人の姿の一方で、伝説的な恋多き女としての姿がよく知られています。
小野小町を慕った深草少将(ふかくさのしょうしょうの「百夜(ももよ)通い」の伝説に象徴されるように、その美貌ゆえに多くの男たちの心をとりこにしたといわれています。
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厚木 平安初期の美人小野小町を祀る「小町神社」
鎌倉時代、源頼朝の側室後の局ま頼朝の子を身ごもったことから、政子に恨まれて処刑されそうになりました。それを命じられた畠山重忠(鎌倉初期の武将)の家人本田次郎が心をひるがえして局を連れて、難波(大阪)へ逃げるという事件が起こりました。しかし、一説では、地元の豪族愛甲三郎季隆が局をかくまって、この山里に住まわせたと言い伝えられています。丹後の局は政子の恨みのためか、精神的苦しみからか、今までの黒髪が一夜にして老婆のような白髪に変わってしまいました。非常に悲しんだ局は小町神社の祭神の小町姫にお願いをして数日間祈願を続けたところ、不思議なことに、白髪がまた元のように黒髪に戻りました。