鎌倉 家康が駆け込み寺として保障した「東慶寺」

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 東慶寺が開かれたのは、鎌倉時代の1285年。八代執権・北条時宗が34歳という若さで急死、時宗の夫人だった覚山志道尼が、その菩提を弔うために開山したといわれている。
 関ヶ原の合戦から大阪夏冬の陣を経て、豊臣家が滅亡した折、豊臣秀頼の娘を「まだ幼い」ということでこの尼寺に移す。このときに家康が駆け込み寺としての寺法を保障した。この助命された娘は、家康の孫娘の千姫を義母としていたことから助命された。そして東慶寺の二十代住持となり、子の尼寺の寺法を守り続けたと言われている。