山門は、四脚門(よつあしもん)で本瓦葺の切妻造となっており、軒丸瓦の円形瓦頭(がとう)は烏丸家(からすまるけ)の家紋である鶴丸の文様となっている。 欄間には豪壮な龍の彫り物が施されている。 幕末のころ、第11代住持であった性円が妻を京都の烏丸大納言家から迎えたとき、尾道の大工が京都制作された彫刻を引き継いでこの山門を組み立てたという。 「ええもん」と呼ばれ、方言として、良い物を「ええもん」と言っています。 尾道の子供たちが、親にねだるときに「なんかええもんこうてえ(買って)」とおねだりすると、親は「ええもんは福善寺」と言って、ごまかしていたとか。 |
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尾道 入口の豪壮な山門、ええもんは「福善寺」
守護大名山名宗全側近太田垣光景の子孫、但馬国城主太田垣因幡守の孫斐守が出家、名を行栄法印といい1573年尾道を訪れ久保町に道場を開き布教に勤めた。1630年現在地丹花の丘陵に寺を移し、本願寺直参末寺「一家衆」に加えられ旧九条関白家の菩提所格寺院となった。
秘蔵の「光明本尊」(県重文)は鎌倉時代末期の図画本尊であり如来の導きを示しており、大変貴重で珍しく代々門外不出とされている。
寺域全体が中世山城・丹花城跡で、裏山の墓地には丹花城主の持倉修理太夫親子の墓と伝える巨大な石造五輪塔(市重文)がある。