鎌倉 五山のうちの一つ、幽谷の山寺だった「浄智寺」

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 浄智寺は山号を金宝(峰)山(きんぽうざん)といい、臨済宗の寺で、北条時頼(ときより)の三男宗政(むれまさ)とその子の師時(もろとき)の二人が開基となり、1281年(弘安4年)ころに建てられたようです。また、開山は、宋の僧である元庵普寧(ごったんふねい)と大休正念(だいきゅうしょうねん)、準開山は、南州宏海(なんしゅうこうかい)(真応禅師(しんおうぜんじ)となっています。宗政が若くして亡くなったため宗政夫人が夫の宗政と子の師時の二人を開基とし、また、開山に招かれた宏海が、自分はまだ若いのでその師の正念をたて、正念はその師の普寧を開山にたてたため、このように複雑な形になったようです。
 1323年(元亨3年)の北条貞時(ほうじょうさだとき)十三回忌のときに参加した僧の数が、224人と建長寺(けんちょうじ)・円覚寺(えんがくじ)・寿福寺(じゅふくじ)についで第4位となっており、僧侶以外も含めると浄智寺の総人数は、500人に達したと思われます。