鎌倉 新田義貞が戦勝を祈願「小動神社」

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 1333年(元弘三年)五月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願し、のちに太刀一振と黄金を寄進して、社殿が新たに再興された。そのため新田義貞を中興の祖と称している。
 鎌倉が自然の要害の地形をしていたので、山側からの侵入はきわめて難しかった。新田義貞は稲村ガ崎から侵入し、鎌倉は陥落する。鎌倉側から見れば、「海側から攻められるわけがない」という油断があったのだろう。義貞は、地元の古老から潮の潮位を聞き、干潮を利用したのだった。