日本最初の征夷大将軍坂上田村麻呂が活躍したころ、富士山が大噴火した最初の記録が残っています。
富士山の噴火記録は、奈良時代の末期からあるのですが、大噴火の記録としてはこの延暦の噴火(西暦800~802年)からです。
富士山の山腹から、大量の火山灰が出、その結果、東海道の道筋が変わってしまったらしいのです。延暦の噴火以前は、東海道は箱根の北、足柄の関所があった足柄路を通っていました。足柄峠を通る道が、もっとも主要な街道だったのです。足柄路は、箱根路と比べるとずっと富士山に近い。この足柄路が、延暦の富士山噴火で降り積もった堆積物で、塞がれてしまい、その結果、南を通る箱根街道が新たに開かれた、と考えられています。