開山は行基(668~749)と伝えられ、本尊は薬師如来です。源義経(1159~1189)が腰越状を書いた所として有名です。境内には弁慶が墨をするのに水を汲んだといわれる硯池、腰掛石があります。
元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。
石段を上ると、「龍護山」という額が掲げられた山門があり、柱には「義経腰越状旧跡満福寺、と書かれた看板があります。山門をくぐると、正面に本堂、左横に盧婁があります。