相模原南 縄文の住居を再現した「勝坂遺跡」

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 遺跡は、大正15年(1926年)の夏、当時の新磯村字勝坂で「石器時代土器が甚だ多く出土する」畑地があり、そこから縄文土器が発見されたことに端を発している。
  発見された土器は、装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取って)などによって注目をあび、後に「勝坂式土器」として縄文時代中期のめやすとされるようになった。
  また、同時に発見された多くの打製石斧(だせいせきふ)を、土を掘る道具と考えて縄文時代の農耕の存在も指摘された。

 縄文土器土は、こねて器の形にして焼き固め、食物の保存容器として、また、煮炊きの容器として使われました。土器は、最初の「工業製品」といえる。
 煮炊きすることで、肉などやわらかくうま味が出て消化しやすくなり、キノコや堅果・根茎などの渋みやあくが抜けたり、やわらかくなりました。
 もっとも重要なことは病原菌を殺菌できたことです。煮炊きすることで、病原菌を殺すことができました。